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スポットライトの魔法
 大きな発表会を終えた今、抜け殻のような脱力感と異様な高揚感の間に私はいる。
踊ったのは群舞のアレグリアスと、ソロのガロティン。アレグリアスには苦労した。
ソロよりも群舞の方が大変だと思う。だって一人で踊る分には多少間違えたって
バレないけど、群舞の中で一人違う手を上げでもしたらすぐに目立ってしまうの
だから。個性の出しすぎもよくない。協調性が大切。かといって全員が美しく揃
いすぎるのもフラメンコじゃない。理詰めで考える癖がある私は、いつもこんな
風にゴチャゴチャ考えてしまう。でもそんなのフラメンカじゃないから、とりあ
えずは動いてみなくちゃ。発表会までの時間はほとんどアレグリアスに使った。
アレグリ7に、ガロティン2。残りの1が食事と睡眠というような生活だった。
そんな無理のある苦しい生活がやっと終わったのに、ホッとしてもいられない。
問題のアレグリアスはちゃんと踊れたのかしら、間違えたところは自分が意識し
ているだけで3箇所ある。舞い上がっていた頭で気づかなかったミスは他にもた
くさんあると思う。恐ろしくてビデオチェックはできない。次に先生に会うのも
怖い。さんざん苦労してやり遂げたのに、どうしてこんな気持ちにならなくちゃ
いけないのだろうと思うのに、やめられないのがスポットライト・マジック。
やっと苦しみから開放された今、また考えるのはやっぱりフラメンコのこと。次
に教わる曲はなんだろう? フラメンコ・マジックにはまる幸せな私。

(埼玉県・みっちー/29歳)

スポットライトの魔法


※パセオフラメンコ10月号掲載作品
バラはくわえない
 友人の舞台。これが私とフラメンコの初めての出会いだった。当時つき合って
いた恋人と「フラメンコってバラをくわえて『オレ!』って言うんだよね」と楽
しみにしていた。が、その発表会の前日に彼とお別れをするなんて。人生って本
当に何が起こるかわからない。一人で見た悲しい舞台にバラをくわえた人は一人
も出て来なかった。「オレ!」も踊る人ではなく、観客が発していた。認識の違
いを恋人と笑い合うことのできない悲劇。ふられた理由は気持ちをちゃんと伝え
られなかったから。「好き」だけではなく「ありがとう」も「ごめんなさい」も
上手く言えなかった。素直になりたい、明るくなりたい、本当はもっと好きって
言いたかった。伝えたい気持ちはたくさんあった。「フラメンコで自分を変えて、
彼にまた告白しようかな」。向いていないとも思ったが「フラメンコは完全じゃ
ない人がその想いを胸に踊る」という先生の言葉で決めた。「失敗しても下を向
かない」「目から指からお客さんに心を伝える」という教えが人生にも反映され
た。いつも笑顔でいることを心がけた。気持ちはすぐその場で伝えた。気が付く
と友達がたくさん増えていた。嬉しいことも悲しいことも話せる本当の友達が。
これはフラメンコのお陰なのか偶然なのか? 先日、私は別れた恋人に電話をし
ようとして、やめた。「フラメンコってバラくわえないんだよ」。彼に教えてあ
げたかったけどもういい。次に出会う恋人に教えてあげるんだ。
(神奈川県・シェロ/24歳)


バラはくわえない




※パセオフラメンコ9月号掲載作品
今度こそ逃げずに
 私はクラスで一番出来が悪い生徒でした。でも先生は私に合わせてゆっくり
レッスンをしてくれ、恵まれた環境にいたんです。クラスの中に一人際立つ女
性がいました。彼女はよく練習が終わったあと、わからないところを私に手ほ
どきしてくれました。教え方の上手な彼女のお陰で、私はレッスンについてい
けていました。でも疲れた私の心は病んでしまいました。彼女に教わっている
とイライラするのです。そういえば補習してほしいとお願いしたことはない。
どうしていつも教えてくれるのだろう? と考えたことがきっかけでした。
「見下されている?」。卑屈なあまり失礼な考えが浮かびました。情けない自
分の姿と比べ、憧れだった彼女の踊りを見るのが辛くなっていきました。そし
て私は黙って教室をやめたのです。アレグリアス完成まであと2ヶ月という秋の
ことでした。優しくしてくれた人に対して、どうしてあんな気持ちを持ってし
まったのでしょう。気持ちが落ち着いた私は、先日、数ヶ月ぶりに彼女に電話を
掛け、辛かった思いを打ち明けて謝りました。すると彼女も彼女なりに持ってい
る劣等感を話してくれました。踊りも満足したことなどないそうです。だからこ
そフラメンコを踊るのだと言う彼女の潔いこと。あと少しで完成だったアレグリ
から逃げてしまったことが心から悔やまれました。フラメンコ。再開することに
しました。今度は焦らずに、自分のペースで一曲きちんと完成させるつもりです。

(神奈川県・MIMI/32歳)

今度こそ逃げずに


※パセオフラメンコ10月号掲載作品
愛言葉を胸に
 「passion」と「take it easy」これは母との合言葉でした。5年前の秋、難
病だった母は煌くように生きて、天国へ旅立ちました。とても可愛らしくて愛嬌
たっぷりの強い女性でした。そして私の一番の理解者でした。一人っ子で寂し
がり屋の私は、これからどうやって生きていったら良いの? と一人になると
泣く毎日。でも、私が元気でいることが母の望みなのだとようやく思えた時、
あの合言葉が頭に浮かんだのです。これらは、泣き虫のくせに負けず嫌いの私が
自分の道を歩めるようにと、母が与えてくれた言葉でした。これからは母の笑顔
を守ろう。小さい頃からダンスが好きだった私は、近所にあったフラメンコ教室
のドアを叩きました。それから5年間、転んで起きてを繰り返しながらも、再び
踊れた事は、母からの贈り物です。「いつ終わるかわからない人生だから、心が
わくわくする事を大切に生きたい」。今、心からそう思えます。私の背中を押し
てくれる温かい手はもうないけれど、今度は自分自身の手で気合いを入れて生き
られるようになりたい。あれから5つの秋を越え、この秋にはアレグリアスを踊
ります。歓びの歌を、心と体で精一杯踊る所を見てほしい。舞台袖ではきっと、
母が「楽しんでいってらっしゃい!」って背中を押してくれていると想って、ス
テージへ踏み出します。大きな笑顔と一緒に。「passion」と「take it easy」
この言葉があれば、万事なんとかなるはず。信じたい。進みたい。輝きたい。
これは別名「愛言葉」!

(東京都・大久保敦子/30歳)

敦子 20

※パセオフラメンコ1月号掲載作品
エアパルマ
 フラメンコ歴8年。何年たっても上達しない私は人前で踊るのが好きになれなかっ
た。1週間後に舞台を控えても、パルマの裏打ちが全く出来なかった私は、先輩に
助けを求めた。私はどうしたら裏打ちがとれるようになるかとコツを聞いたのだが、
先輩はあっさりと言った。「無理よ。諦めることね」諦める? 舞台を? 驚く私
に先輩は「残り1週間で現在出来てないものを出来るようにすることは諦めた方が
いい、しかしもっと大切なことがある」と教えてくれた。まずは最高の笑顔を作る
こと、フリを間違えても足を止めないこと、下を向かないこと、常に観客と目を合
わせて踊ること。それは、難しい裏打ちや足打ちが出来るとか、間違えずに踊ると
か、そんなことより断然大事なことなのだと。「練習では覚えろ覚えろと教わるけ
ど、本番は全て忘れて笑っていればいいの」「忘れていいんですか? じゃぁエア
パルマでいいですか?」「よくはないけど……。じゃぁそのかわり笑顔で」。迎え
た本番では、言われた通りパルマや足打ちを潔く諦めた。お客さんの目を見て笑顔
を振りまくことだけに専念した。すると踊りはひどいものであったにもかかわらず、
今までの舞台で一番褒められた。嬉しかった。先輩も褒めてくれると思った。する
と今度は「今日のひどいパルマを克服しようね」とガッツリお説教。ということで
発表会が終わった今、私は遅ればせながら裏打ちの練習に励んでいる。エアでない
本物のパルマを打つために。
(神奈川県・feliz/30歳)

間違えないことよりも

※パセオフラメンコ8月号掲載作品
桃色の恋心
 大失恋の後、二度と恋などしないと思っていたのに、また恋に落ちた。片想い
は苦しいことも多いけど、毎日がまるで春の始まりのよう。面倒だった出勤前の
化粧にだって身が入る。マスカラは三度塗り。グロスもバッチリ。朝食もしっか
りとってストレッチまでしちゃう。こんなにウキウキする日々は久しぶり。レッ
スンだって楽しくなってきた。習っていたソレアは叶わぬ恋をする私にはピッタ
リだった。辛い恋に身を焦がす自分に酔いしれながらの自主練。そして発表会。
私は渾身の勇気を奮ってその恋のお相手にチケットを渡した。彼への想いをこめ
たソレアを見てもらい、告白しようと思っていた。ところが私はその舞台で尻も
ちをついてしまったのだ。前を見据えたまま後ろへ下がる時にボランテを踏んで
しまった。失敗はほんの一瞬だったけど、正面に向かって披露したおぱんつは、
証拠写真として一生残ることとなった。彼にも見えたであろうピンクのおぱんつ。
あぁどうして黒にしておかなかったのか。黒衣装の中に桃色の恋心を忍ばせろと
助言した友人を恨んだ。しかもそのピンクのハートは彼には伝わらなかったよう
だ。その後彼と発表会について触れることはなく、告白もまだ……。でもいいの。
なんだか私モテモテになっちゃったから。黒ばかり着ていた服を春色にかえ、お
ぱんつだけでなくブラウスもピンクにした。そしたら映画やお食事のお誘いが一
気に増えて忙しくなった。どのお誘いも女性からというのが唯一の不満。
(東京都・シホ/39歳)

桃色の恋心




※パセオフラメンコ9月号掲載作品
プライスレス・フラメンコ
 憧れだった職業に就けたはずだったのに、あの新鮮な気持ちはどこへ行ってしまっ
たのだろう。無駄に積んだ勤続年数で、役職だけが上がっていった。増えたのは残
業時間、責任、重圧。肝心のお給料は年々減り、いいように使われているという思
いに潰されそうだった。大好きなフラメンコに通えなくなったのがその気持ちに拍
車をかけた。レッスンには間に合わなくて、月謝を払うのがきついのだから。フラ
メンコから遠のいて2年間。荒んでゆく心を救ってくれたのは親友だった。練習で
も本番でもパレハを組んでくれた親友が、この時代に忙しく働けることの幸せさを
得々と説いてくれた。この時代に好きな職種に就いていられる贅沢さも。頭ではわ
かっていることを改めて言ってもらえることで、私は自分自身を保っていられた。
「ブレない軸を」。彼女が言い続けてくれた言葉。一本の軸が通っていれば多少の
揺さぶりなんか感じない。フラメンコは時に人生に通じるヒントをくれる。
 このたび丸2年離れたフラメンコを来月から再開することにした。更に忙しい部
署への移勤願いが通った今、月1?2回通えるかどうかのスケジュールで月謝のほ
とんどを棒に振ってしまうけれど、それでもあえてのこの時期を選んだ。暇になる
のを待っていたら、いつ踊れるかわからない。お金には代えられない。高価なお月
謝を稼ぐのは大変だけど、元気で稼げることに感謝して。仕事とフラメンコの両立
は大変だけど、今度こそ笑顔で乗り越える!
(横浜市・かえで/アラフォー)

プライスレス・フラメンコ



※パセオフラメンコ9月号掲載作品
あの傷を幸せの刻みに
 セビジャーナスの振りを習い終わり、細かい部分を詰めながらマノ使いを習い始
めた。子どもの頃ギターをやっていたし、手首を使うことには少々自信があった。
でも「キラキラ星みたい」と笑われた。自分では手首から回しているつもりでも、
回っていなかったようだ。
 電車内でも歩きながらでもどこでも回した。なのに、成果は現れず、レッスンで
のマノの練習の際、鏡に写るへんてこりんな自分と向き合うのがきつかった。そん
な時「次のファンダンゴではカスタネットをやりましょう」との先生の声に喜んだ。
マノから逃れられる!
 注文したカスタネットはすぐに届いた。嬉しさいっぱいで箱を開けると、傷が付
いていた。先生が注文してくださったし、「傷があります」とは言い出せない。し
かも、つけてみようとしたら先輩に「どうせ付け方を間違えるからまだ触らないよ
うに!」と言われ、テンションが下がりまくった。悲しい気持で傷を眺めていると、
先生が「傷がある方を利き手にはめてください」と言った。「欠陥商品じゃなかっ
たのか!(笑)」たちまち心晴れ渡る! と思ったら、またすぐに曇る。鳴らない。
リャなんて、全く鳴らない。
 あれから4年経つが、いまだにマノは回せない。でもマノを回すついでに肩も回
すから、中学生以来の肩コリが解消された。リャだってあいかわらず鳴らないけど、
カスタネットを見習って日常の心の傷も「刻み」と解釈すればへっちゃら! リャ
リャリャ?とこれからも楽しく練習を続けるのだ。

(長崎県・るんを/38歳)

るんを 20



※パセオフラメンコ12月号掲載作品
我がフラメンコ・セクシーの源
 10年ほど前だろうか、心の病気になった。何もやる気もせず体調不良で痩せてゆ
くし(今、思えば我ながら羨ましい)、暗いトンネルがずっと続くのだと思ってい
た。この状況から何とか脱出したいと思ったのがフラメンコを始めるきっかけだっ
た。ある日入った新聞のチラシ。フラメンコ講座新規開設! の文字に目が止まる。
スポーツも踊りも素質はないが、とりあえず楽しそうだし、綺麗な衣装も着れそう
だし、何より新規開設なら皆同じスタートだと思い入会した。3ヶ月は続けようと
思っていたら、レッスン後のお茶を楽しみに6年くらい続いてしまった。そんな頃、
今の先生に出会った。女性らしいアイレに圧倒され、体操みたいだった自分の踊り
から脱出したくなった。キレイになりたい意識が高まった。時には、不細工な全身
を鏡に写して、整形した方が早いかなどと考えた。短い手足を美しいブラソにする
方法を考えた。ただのおばさんには後がない! 人一倍頑張らなくては! 回転で
ふらつかないよう筋トレを始めた。難しい足打ちはボケ防止にも骨粗しょう症予防
にも良い。スリム化にも貢献する。依然踊りは不細工だが、自分のために踊ること
が楽しくなってきた。人生に対して前向きになれるようになった気もする。あ?、
あとは芸のこやしが欲しい! チャンスがあれば恋もしよう。それがだめなら若い
イイ男を目の保養にしてがんばるぞ! 気がつけばフラメンコは私にとって、女と
して生きるための原動力になっている!
(名古屋・キーラ/51才)

セクシーの源

※パセオフラメンコ8月号掲載作品
これからもよろしく
 25歳の時に結婚をし、同時にフラメンコを始めた。でも、フラメンコは遊び半分
だった。妊娠したらすぐにやめるつもりだったし、つまらなければもっと早くやめ
ようかな? くらいの軽い気持ちで始めたんだった。ところがいつまでたっても妊
娠の兆候はあらわれず、30歳を過ぎてからは不妊治療に通った。その治療がまさか
10年も続くなんて……。10年の間に、不妊に効くと聞いたものは全て試した。食べ
物、お茶、漢方薬、神頼み。触ると妊娠すると言われた岩を触りに飛行機にも乗っ
たっけ。それでも赤ちゃんは私のお腹にはやって来なかった。とうとう私は妊娠す
ることなく40歳の誕生日を迎えた。そしてこの誕生日を境に、10年頑張った不妊治
療を諦めた。今思えば子供を授かることだけを優先して、他の生活をすべて犠牲に
するような生活だった。当時はそれも幸せだと思ってたけど、本心は辛かったのか
もしれない。友達に旅行に誘われた時ですら、もし直前に妊娠がわかったら? と
思うと参加すらできない、そんな10年だったのだから。
思い切って生活を変えてみようと思い、腰掛けのままダラダラと続けていたフラメ
ンコと真面目に向き合うことにした。前々からすすめられていたソロに挑戦させて
もらっている。フラメンコって真面目にやるとこんなにも楽しかったんだ。そして
こんなにも難しいものだったんだ。私の人生を寂しいだけのものにしないでくれて
ありがとう。今更だけどこれからもどうぞよろしく。フラメンコに、そう頭を下げ
た。
 

(横浜市・のりのり/40歳)


のりのり


※パセオフラメンコ11月号掲載作品
ナガネギに学んだこと
 ナガネギフラメンコ。人気アニメ、アンパンマンの引用曲。ある日この曲に出会っ
た私は、簡単なマルカール等を入れてナンチャッテ振付を試みた。この曲で踊って
ウケたい! 当時、子育て真っ只中ながら、目立ちたがりとサービス精神をミック
スしたような性格で振付を完成させ、発表会で「ナガネギ」を披露できるチャンス
を得た。きっとウケる、皆が褒めてくれる。そう信じて疑わなかった。しかし発表
会後に頂いた批評は「これはフラメンコではない」だった。その時の自分の気持ち
を思い出すと、思わず自分を抱きしめたくなる。確かにそうだ。日本のアニメソン
グの四拍子がフラメンコに化けるなんて甘かったのだと泣いた。「ナガネギ」はこ
うして私のなかで封印された。
 そして先日、「ナガネギ」に積もった埃を落とす機会がやってきた。近隣福祉施
設から出演依頼があったのだ。心よき同朋であるサークル有志達とつたないながら
もフラメンコを披露した。オープニングに持ってきた「ナガネギ」が始まってから
30秒。客席後方で見てくれていたお姉さんが大爆笑してくれた。それを皮切りに会
場から四拍の手拍子! 掛け値のない嬉しさが込み上げてきたあの瞬間をどう言葉
にたとえればよいのだろう。心には、時にとげが刺さるが、また時に思いがけない
栄養をもらえることもある。自分でやりたいと思ったものは自信を持ってやってい
くべきなのだ。女40にして惑いなく進める道を見つけつつある、今日この頃。


(神奈川県・ナガネギ隊長/アラフォー)

ナガネギ隊長 j20


※パセオフラメンコ11月号掲載作品
あなたとのパレハだったから
 先日のフラメンコ教室満十年の発表会は、私にとって二つの大きな意味を持つイ
ベントとして私の心に残った。一つは、今までの発表会の中で一番多くのヌメロを
踊れたこと。セビジャーナスで始まり、ガロティン、アレグリアス、タンゴ・デ・
マラガ、そして締めのブレリアス。今まで生きてきた中で一番多く踊るということ
は、一番苦労を重ねるということにもなる。頭で整理し、体に叩き込むまでが大変
だった。娘たちに「お母さん、フラメンコやり過ぎだよ」と言われながらも、週休
二日でレッスンに通った。
 もう一つは、母への追悼ができたこと。生前の母は、年の差十五歳の姉妹がフラ
メンコを踊ることをとても喜んでくれていた。いつも自分のことより私たちの心配
をしてくれていた母。そんな母が昨年亡くなったのだ。私たち姉妹は悲しみを分か
ち合いながらも練習にのめりこんだ。「さすが姉妹、呼吸がピッタリ」との褒め言
葉がいただけたのは、母への想いを共に抱いていたからだと思う。
 そして迎えた発表会当日。自信がなくなり不安が広がったが、二人はただ母のた
めにと踊った。週休二日のスケジュール疲れも限界だったが、ギターの心引き締ま
る音色に誘われ、体は自然と動いた。カンテの美しい声にあわせて踊る達成感は、
やがて大きな喜びに変わっていった。発表会後は、妹と「お母さんが見守ってくれ
たんだね。うまくいって良かったね」と二人喜びを分かち合った。悲しみを喜びに
かえてくれた発表会だった。 

(北海道・えみ/アラコキ)

えみ20



※パセオフラメンコ12月号掲載作品
究極のドM
 アタシはフラメンコ歴12年目の18歳。でも最初の4?5年は、ほとんど遊んでい
た。生まれながらの演技派と言われているアタシは大人を騙すのが得意で、足が痛
いと言ってはフラメンコシューズも履かずに、スタジオ内を走り回っていた。そん
なアタシに転機が訪れたのは小5の夏。通っていた教室の子どもクラスが無くなり、
近所に出来たフラメンコ教室に通うことになったのだ。その教室の先生は、大胆な
先生で、セビしか踊れないアタシに「新人公演に出よう」と言ってきた。新人公演
を知らなかったアタシは「うん」と答えてしまい、それで中1の夏に初ソロが新人
公演という大胆なことをやってしまったんだった。その頃からフラメンコにはまり、
高1になった時には、将来はフラメンコの道を歩きたいと考えるようになっていた。
また新しい教室へ移った。その教室は素晴らしい先生がそろった教室で、たくさん
の劣等感を味わった。「その表現気持ち悪い」なんて厳しい言葉が飛んできた時は
「もう無理だ」と思った。何度出来ない自分に腹を立てて悔し涙を流してきただろ
う。そんな挫折ばかりの3年がもう終わる。高校を卒業したらスペインへフラメン
コ留学をするのだ。またいっぱい泣くと思う。でも泣いたら笑えばいいのさ! そ
んな風に強くなった。だってアタシは「けなされて伸びるタイプ」だって最近気が
ついたから。ドMじゃなくちゃフラメンカやってられない。アタシは究極のどM女。
ジプシーのように逞しく生きるんだ! 

(東京都・こたまご/18歳)

こたまご


※パセオフラメンコ7月号掲載作品
愛しのロメーラ
 もう何年も前の話です。レッスン仲間の女性が、ホアキン・グリロのロメーラの
ビデオを貸してくれました。このことをきっかけに私達は親密になり、恋人同士に
なっていきました。その後、フラメンコをもっと深く知りたいと思った私は、マド
リードのアモール・デ・ディオスを訪れました。経験不足の私には苦い体験でした。
コンパスや曲の構成を理解していない事に加え、スペイン語が理解できない私には、
何気ない言葉も厳しく聞こえたのです。大の男が半泣きでした。彼女の励ましがな
ければどうなっていたことでしょう。帰国後は、私たちの出会いのキッカケのロメー
ラをパレハで踊りました。二人で幾日も自主練習を重ね、本番当日の緊張の中で舞
台を踊り抜いた達成感、仲間や観客の賞賛は最高でした。それからも私達はカンテ
やパルマを共に学び、最高のパートナーとして過ごしました。彼女のためにと覚え
た歌は数知れず。しかし別れは突然訪れました。私は仕事に支障をきたすほど落ち
込み、フラメンコも辞めました。彼女を思い出すもの全てから逃げたのです。
 数年後、営業時に見かけた看板に足を止めました。思い切って再開したフラメン
コ。今もロメーラを踊る時は切なさがこみ上げます。しかし今ではあの経験があっ
てこそと思えるようになりました。留学生活を乗り切れた自信、彼女と踊りきった
ロメーラは揺るぎない軸となりました。私は今日も彼女のために覚えた歌を歌いま
す。あの時とは違う気持ちで。

(住まいは西の方・カルロス/41歳)

カルロス

※パセオフラメンコ7月号掲載作品
かわいいソレア
 私は姉妹でフラメンコを習っている。上級クラスの私と、万年初心者の妹。出来
の悪い妹には昔から何かと手を焼かされた。初めての舞台ではブラウスを持ってく
るのを忘れ、マントンを身体に巻いてセビジャーナスを踊った。タンギージョの舞
台の時は手ぶらで楽屋を出る妹を帽子を持って追いかけた。そして先日の発表会。
私はいつもに増してピリピリしていた。5人以上でしか踊ったことがない私が初の
パレハ。曲は難しいソレア。それでもやはり当日は妹の世話に追われた。「花を付
け忘れてるよ」「次の曲の靴は白だよ」「もう出番が近いよ」。妹を送り出したあ
との自分の出番。アイレたっぷりに頭上でマノを巻いたその手首へ視線をはせた瞬
間、思わず「うげっ」と声が出た。腕時計をつけたまま踊っていたのだ。妹のタイ
ムキーパーを務めていた私は、最後に舞台袖で時計を外すのを忘れた。ピンクの腕
時計は重いソレアの空気にはそぐわな過ぎだった。踊り終えて楽屋でうなだれる私
に妹が言った。「大丈夫。私なんてスパッツはいてたから」。ファルダを持ち上げ
ると確かにスパッツが現れた。しかもそのスパッツには水玉模様が入っている。お
いおい、そんな笑ってる場合かよ。でも思えばこの天然に昔から救われてきたんだっ
たっけ。「かわいいソレアだったよ」。かわいいソレアって褒めてないんですけ
ど……。でもなぜかその言葉で楽になった。面と向かっては言えそうにないけど、
手の焼ける私の妹へ。いつもありがとう。
(神奈川県・エスペランサ/28歳)

かわいいソレア


※パセオフラメンコ8月号掲載作品
きらめきのシャワー
 「苦労が顔に出ないね。フラメンコ体型だし」とよく言われる。顔がぽっちゃり
と肥り、胸板も腰もしっかりとした、よく言えば日本人離れ、悪く言えば中年太り
のおばさん体型ということだ。しかしながら、本当に「人生谷あり、そして谷あり」
というぐらいのどん底だらけの人生を生きてきた。子どもが小学生と中学生の時に
夫が突然に失踪した。かわりに出てきたのは多額の借金。生きていかなければ!
というよりも死んではならない。それを心に言い聞かせてあの頃を必死に生きてい
た。あれから5年の月日が流れ、私は先日の発表会でソレアのソロを踊らせて頂い
た。最後まで技術が追いつかず、何度も降板を申し出たが、踊り終えた私が頂けた
言葉は「フラメンコはテクニックじゃないんだね。人生を踊るんだね」だった。
「母なるソレアを感じた」と言って頂けた。人生も発表会も苦しかったけれど、頑
張って踊ってよかったと思った。フラメンコ歴12年になる娘にはダメ出しされなが
らも「頑張ったね」と言ってもらえた。
私は今も、苦労をしたことないような顔と体型をしてる。でも、もう一生誰も愛せ
ないなんて思っていた私が恋をしている。その人に「痩せなくていいよ。明るさを
シャワーのように皆に浴びせかけているあなたがいい」と言われた。中年体型のおば
さんだっていいんだ。フラメンコは人生を踊る んだから。愛する友人達にシャワー
をふりかけながら、私はこれからもフラメンコを踊る。ドスン、ドスンと床を揺ら
しながら。

(東京都・たまご姐/53歳)

たまご姐

※パセオフラメンコ6月号掲載作品
最強のリハビリ
 フラメンコは難しい。なんでできないかな……という歯がゆい思いで、どんどん
はまっていった。習い始めて2年が過ぎたころ、私は無謀にもティエントスとシギ
リージャスのクラスを同時に取った。週1度のレッスンでは覚え切れず、自主練習
もやりながら悪戦苦闘していたある日、病気が見つかった。乳がんだった。身内に
は誰もいなかったので、まさに晴天の霹靂だった。しかも、親しい友人が大腸がん
で7年の闘病の末に旅立ったばかりで覚悟を強いられた。しかし、ティエントスの
複雑な振付や、シギリージャスのサパティアードとカスタネットに四苦八苦してい
た私には、病気の心配をしている暇などなかった。レッスンを休むなんて考えられ
なかった。発覚から3ヵ月後、築地の国立ガンセンターで手術は行われた。幸いリ
ンパ節への転移がなく、胸を温存することができた。レッスンは1回休んだだけだっ
た。マノとブラソの練習はリハビリに効果的だった。入院の荷物にはこっそりフラ
メンコシューズを忍ばせていた。国立ガンセンターの病室でシギリージャスのサパ
ティアードを踏んだのは、おそらく私だけであろう。早く踊りたい一心で、病気の
心配は完全にお留守になっていた。乳ガンは経過観察が10年なので、今も通院して
いる。病気の方はすっかり克服したと思っている。そんなことより問題は、相も変
わらず私を苦しめるフラメンコの方。今の課題はソレアレス。足も手も、間の取り
方も理解ができない。どなたか教えて下さい。

(神奈川県・モニカ/53歳)

モニカ

※パセオフラメンコ6月号掲載作品
フラメンコ・ロボット
 フラメンコ歴6年の友人に、「家で教えるから体験してみない?」と誘いを受け
た。少し前にライブを初めて見てフラメンコを知ったばかりの私だったが、「体引
き締まるよ?」の言葉に押されて彼女の家を訪ねた。ギターと歌が流れ、さあ、あ
の時の感動よ、もう一度! と気持ちは高ぶるものの、「えーと次は……どっちの
足? 回るんだっけ?」と考えている間に音楽はどんどん進んでいく。覚えのいい
他の友人たちに比べ、自分の動きはまるでロボットだった。ウィーン、ガシャン、
ウィーン、ガガガ。それも滑らかな動きではなく、壊れる寸前の錆びついた状態の
ロボット。手の振りをつけようものなら足が止まり、足をきちんとしようとすれば
手が止まる。その足すら左右が逆だったり。そして帰宅後は、ふくらはぎに尻、太
ももの筋肉痛フルコース。ほとんど動かしていなかった二の腕までプルプルだった。
なのに、体を動かしたものだからいつも以上にごはんを食べてしまい、シェイプアッ
プどころか逆効果だった気さえする。友人は「またやろうよ」と誘ってくれるのた
が、「ロボットが生身の人間になるまで個人練習をしています」とお断りしている
次第だ。ただ私は密かに決意をした。「実はフラメンコをやってまして…」「へぇ、
すごいね、色っぽい?」と上司や同僚から羨望のまなざしを浴びるシーンを妄想し
ながら、ライブで感じたギターと歌と踊りが一つに溶け合う「鳥肌立つ瞬間」を目
標に、日々ロボットダンスに励んでいるのだ。

(北海道・ズバーン/33歳)


ズバーン

※パセオフラメンコ7月号掲載作品
おにぎりとウーロン茶
 30歳までに結婚! が口癖だった私が、27歳の誕生日を迎える少し前のこと、
運命の出会いが訪れた。とても温和な方で、私にはもったいない男性だった。
おつきあいは順調に進み、2度目のクリスマスを一緒に過ごし、心身ともに充
実していたある日。大きなチャンスが舞い込んだ。発表会でソロを踊らないかと
いう提案。なぜ劣等性の私に声がかかったのかはわからなかったけど、でも私は
その無謀なチャンスを受けることにした。その日から毎週の休みを練習に費やす
ことになる。一人で練習を重ね、時にはアレグリをマスターしている先輩に踊り
を見てもらった。彼とのデートは激減したけれど、愛情は深まっていくように思
えていた。マメな彼はおにぎりとよく冷えたウーロン茶を持ってスタジオに迎え
に来てくれた。私はそんな彼のためにも頑張り続けた。季節は移り、桜が散り始
めたある日。真夏のように暑い午後だった。いつものように彼が用意してくれた
冷えたウーロン茶が美味しかったのを覚えている。「好きな人ができたんだ」。
突然の言葉の意味が理解できない。私は黙っておにぎりを食べ続けた。「一緒に
頑張ったアレグリアスだったのに、見てくれることはないのね」と呆然と考えな
がら、目の前の桜吹雪が大泣きするかのように散っていくのを見た。あれから10
年。傷心の私を強くしてくれたのは良くも悪くもフラメンコだった。今の私の口
癖は、40歳までに結婚! まだ諦めてはいない。きっと間に合うはず。

(神奈川県・マカロン/39歳)

おにぎりとウーロン茶


※パセオフラメンコ10月号掲載作品
母の靴音
 私は小さい頃、ハイヒールのコツコツという音が大好きで、そういう音がする母
の靴を狙っていました。幼い私は、母に聞きました。「この靴、大きくなったらあ
きにくれる?」「いいわよ?」母の快い返事を受けた私は、すぐさま全てのハイヒー
ルに「自分の」という意味で「あきの」とボールペンで書いてしまいました。 一番
目立つ甲の部分にデカデカと。何足もの靴を台無しにされ、母のがっかりした顔を
今も覚えています。大人になった私は偶然フラメンコに出会いました。幼い頃の事
件など忘れていましたが、なぜかサパテアードの音は好きでした。練習は好きだと
は言えません。2連も3連も追いつかず、いい音も出せません。でも時々出せるゴ
ルペの響き渡る音、タコンやプンタの繊細な音はどれも心を躍らせ ます。幼い頃の
罪を思い出した私は、フラメンコに惹かれたのは、幼い頃の靴音フェチが影響して
いるからかもしれないと思いました。あの頃憧れた踵の高い靴を履いているのだと
思ったら、少し足打ちが楽しく思えてきた。……ような気もします。苦手なのは足
打ちだけではありません。カスタネットもブエルタも苦手。課題はいっぱいありま
す。でも大好きなフラメンコ。難しいから面白いフラメンコ。少しずつあの大好き
な「音」に近づけるように、これからも大好きな仲間と一緒に練習していきたい。
綺麗な音が耳に響くと、いつも母の温かさを思い出します。これからは私が恩返し
しなくてはと思います。

(神奈川県・あき/36歳)

aki


※パセオフラメンコ5月号掲載作品
アレグリ効果
 発表会を目前に毎日のように自主練をしていた3年前。練習に明け暮れる日々の
中、私は体の異常に気付きました。甲状腺の病気でした。微熱が続き、常に気分は
悪く、喉がボコッと腫れました。突然目眩に襲われ、その場でうずくまってしまう
事も度々あり、このまま死んじゃうのでは? と不安でいっぱいでした。あの不安
を乗り越えられたのは、それを感じる暇もない程の超難しいアレグリアスがあった
お陰です。覚えの悪い私に仲間が何度も同じことを教えてくれました。個別レッス
ンまでしてくれました。教えてくれる人、それについていく人。その熱に押され、
私は欠かさずレッスンへ通いました。発表会を諦めるという事は考えませんでした。
皆の頑張る姿と、合間のおしゃべりに心を救われ、帰り道の方が体が楽になってい
ました。幸いなことに私の病気は亜急性で大したことなく治まりました。療養をきっ
かけにフラメンコは辞めてしまいましたが、あの時の「気持ちで負けない」精神は、
確実な自信となって私の中に残っています。フラメンコをやっていなかったらあの
まま寝込んでいたかもしれません。当時の仲間に「治ったなら戻ってきなさい」と
言われますが、二度とあの苦しみは…と尻込みをしている私。でもアレグリアスの
曲を聴くと「もったいない!」と血が騒ぐ私もいます。勇気を出してみようかな?
捨てられなかった衣装やシューズは今もフラメンコを好きな証。今、ゆっくり楽し
く悩んでいるところです。

(神奈川県・ありし/年齢はナイショ)

ありし


※パセオフラメンコ5月号掲載作品
裸足でフラメンコ
 母子家庭。いまの時代珍しくもないこの響きが私には重いものでした。誰もがフ
ラメンコを止めるよう言ってきたからです。昼も夜も働かなければいけない生活の
中で、なぜ踊り続けるのか何度も責められました。正直、自分でも止めるべきなん
じゃないかと心のどこかでは思っていました。でも止められませんでした。唯一の
心の支えだったから。家計を切り詰め、発表会などお金のかかることには参加しな
いで、ただレッスンにだけ通いました。華やかな衣装を着ることはなくても「実写
版ヒターナなのよ」と笑っていられました。しかし結婚している頃に買ったフラメ
ンコシューズをはきつぶした時だけはそうもいきませんでした。新しい靴を買えな
い私は裸足でレッスンを受けたのです。あれはさすがに惨めでした。ヒターナのギャ
グも出ませんでした。でもあのとき感じた卑屈さも、今ではいい思い出です。裸足
でも何でも踊れれば幸せだったと思えます。他の誰でもない娘が応援してくれたか
ら。いつも娘に対する申し訳なさが心の片隅にあった私に、逆に娘はいつも応援の
言葉をくれました。「一週間の中でこの時間だけがイキイキしている」と言って週
一度はひとりで夕飯を食べていてくれました。「今習っているソレアは苦労して泣
いてきた人にしか踊れない踊りなの。だから私はラッキーなの」そんなことを胸張っ
て自慢する私を、娘も友人も呆れた顔で見ます。ソレアを踊る今では、流した涙に
さえ感謝したいと思うのです。

(神奈川県・Merienda/42歳)

Merienda

※パセオフラメンコ6月号掲載作品
牧場に「オレ!」がこだまする
 恋と仕事とフラメンコ。全てがスランプで、逃げるように北海道の酪農家にやっ
て来た。夫と結婚する時にも困難があったが、もう逃げないと覚悟を決めた。そし
て最大の転機は訪れた。三番目の子供が重い病気を持って生まれたのだ。感染症予
防のため家にこもり、ただ手術を待ちピリピリ過ごす日々。「このままでは私も家
族も不幸になる。そうだ! 趣味を再開しよう」と、一番思い入れの強かったフラ
メンコを選んだ。あの頃掴みかけたフラメンコの動きとフラメンコ音楽を好きな気
持ちは自分の中に残っていた。レッスン通いが難しいので、DVDでの自主練習を
メインに、年に数回だけ汽車で一日かけ札幌へライブや単発レッスンに行っている。
地元の人にフラメンコを知ってもらいたくて、先日は町の演芸大会に出て一人で踊っ
た。間奏でパルマを叩くと、司会をやってた親戚のおじさんが慌てて「皆さん手拍
子をお願いします!」と言い、観客が手拍子を始めた。予想通りの展開に途中から
はニヤけながらとても楽しく踊れた。なんとか形になったような拙い踊りではあっ
たが、意外にも大絶賛され、一躍時の人に。そしていっちょまえに人に教えるよう
にもなった。どんくさい私ならではのアドバイス満載のレッスン。もちろん自身の
ため、毎朝毎晩のエクササイズも欠かさない。牛に向かってパルマ。「アーイ、ホ
イホイ」とハレオ。しっぽをかわしビシッと静止。どこまでも続く大空と牧草地に、
今日も「オレ!」の声がこだまする。

(北海道・さらこ/36歳)



さらこ

※パセオフラメンコ5月号掲載作品
背中を押すエール
 カンテ歴は一丁前にあるのに、「声」だけがカンテじゃない。録音聴いても自分の
唄ってるDVD見ても、「日本人女性が真似してるだけ」に聴こえてしょうがない。あま
りにも自分の声にコンプレックスが大きすぎて唄うことが怖くてたまらなくなった。
傷心旅行のつもりでスペインに旅立った。何日かして異国での暮らしにも慣れ、友達
も少しずつ増えてきたある週末の夜、行きつけのバルで友達と飲んでいると、ギター
を持った人達が現われ、ちょっとしたフィエスタ状態になった。しばらく時間が経ち、
友達のひとりが「PASTORAも唄ってみろよ!」と言う。自分にできるのか? このフラ
メンコの産まれた土地で唄っていいのか? フラメンコの声を持たない日本人の自分
がそんな大それたことをしていいのか? 逡巡している自分を友達が舞台へと引き上げ
る。ギタリストは既にカポをあげて待っている。
……ブレリアを一節、二節。唄い終わった私の耳に聞こえてきたのは大きな拍手だった。
たくさんの「ゥオレー!」ももらった。なんだなんだ? と戸惑う私にギタリストさん
がこれからも頑張れとハグしてきた。このおかしな声のどこがよかったの? 思い切っ
て欠点をさらけ出した度胸への「ゥオレー!」だったのか? よくわからなかったが沢
山の拍手は気持ちよかった。声は一生変わることはない。でもこれでいいんだ。これが
いいのだ! 唄が好きだから唄い続けたい。それだけ。あれからも立ち止りそうになる
と、あの拍手の嵐が私の背中を押してくれる。

(神奈川県・PASTORA/年齢秘密)

PASTORA


※パセオフラメンコ4月号掲載作品
生きる時間の長さよりも
フラメンコを始めて6年目。30代後半の遅い年齢からのスタートだったけど、ソロで
踊らせて頂く機会にも何度か恵まれ、益々フラメンコが好きになっていた日々だった。
その初春、にわかには信じ難い内容のメールが友人から入った。「教室のギタリスト
さんが、今朝急に亡くなられたそうです」。心筋梗塞。享年35歳。その前年の新人公
演で奨励賞を授賞。「今年はレコーディングしてCDでも作ろうかな」と言っていた
笑顔。レッスンの度、その力強い心の入った音で私達を包んで下さっていた。それか
ら1ヶ月後、一緒に頑張ってた友人が29歳の若さでガンで亡くなった。その前年の発
表会で、彼女はお客様の目を釘付けにする素敵なガロティンを踊った。「もう思い残
す事はないなぁ」と、しみじみ呟いた彼女。それからわずか5ヶ月後の急逝だった。
心に大きな穴があいた。だがこの二つの悲しみは私の心を変えてくれた。いつまで生
きられるはわからないけど一生懸命に一生かけてフラメンコと向き合う。肝心なのは
生きる時間の長さではなくて、悔いなく生きること。二人の笑顔がそれを私に教えて
くれた。それをきっかけに、私だけのフラメンコをたくさんの人と楽しさを共有する
ものに変えたいと思った。だから、意を決して教える為のスキルを学び始めた。既に
40代半ば。体力も気力も若い頃のようにはいかないけれど、失ったものの代わりに得
たものもあるはず。転んでもただじゃ起きないのがフラメンコ!生きてる限りフラメ
ンコ!

(福岡県/shekere/46歳)

shekere


※パセオフラメンコ3月号掲載作品
バイラの恩返し
あれは10年間の発表会。私は初めてのマントンを手に、意気揚々と舞台へと上がった。
この日のために新調したマントンは3万5千円。大胆な刺繍の入った豪華なものだっ
た。しかし振りを間違えることなく、順調に踊るカーニャが中盤に差し掛かった時、
勢いよく振り上げた私のマントンのフレコが、パレハを踊る友人のペイネタに絡みつ
いてしまった。何があっても動きを止めてはいけない舞台で、踊りながら頭に絡むフ
レコを外そうとする彼女は、踊りきるまで笑顔を絶やすことがなかった。そして舞台
を降りたあとも私を責めることなく、泣きながら謝る私を慰めるために、食事まで御
馳走してくれた。
「こんなこと舞台ではよくあることよ」。数年先輩だった彼女が笑顔で繰り返してく
れた言葉。でも私は笑顔に戻ることはできず、そのマントンを押入れに封印した。二
度とカーニャを踊ることもなかった。
10年たった先日の発表会でのこと。グァヒーラの群舞で、友人のアバニコが私のアバニ
コを叩き落とした。私は固まる友人に精一杯の笑顔を見せ、動きを止めることなく踊り
きった。そしてあの時の私と同じように泣き崩れる友人に「こんなこと舞台ではよくあ
ることよ」と笑った。くしくも10年前に私が連れてきてもらったファミレスで、同じ場
所で同じセリフを言ったのだ。あの時彼女にもらった恩を、やっと返せた気がした。同
時に自分も呪縛からも解かれた。私は来月ソロでカーニャを踊る。あの時のマントンと
ペイネタを身にまとって。

(神奈川県・ミカエラ/38歳)


ミカエラ



※パセオフラメンコ12月号掲載作品
関わり方は、いろいろなんだ
 いつもより腰が痛いと思い始めたのは、20も半ばを過ぎた頃でした。でも腰痛ぐらい
よくあることだと思って、病院には行きませんでした。病院へ行く気になったのは、歩
くのも辛くなってからでした。さすがにおかしいと思った時には、私の体はもう手遅れ
でした。脊椎の病気だと診断され、治療の甲斐なく、右手と右足がほとんど動かない体
になりました。フラメンコをやめなくてはならなくなりました。泣きながら何とかやめ
ずに済む方法を考えましたが、右手が動かないのではアバニコは持てません。カスタネッ
トも鳴らせません。サパテアードも踏めないのでは、諦めるしかありませんでした。仲間
に道具や衣装を譲りたいと言うと、カスタネットだけは持っているよう勧められました。
4本の指を使ったリの音は出せなくても、タピタピと打つことはできたからです。それが
リハビリになると言われました。私は言われるままカスタネットだけは持ち帰り、それか
ら一年間毎日カスタネットを触っていたら、ゆっくりではありますが、リの音が出せるよ
うになりました。お医者さんも驚く回復力でした。残念ながら完治はしないこの病気。二
度と踊ることはできませんが、一番の効果はフラメンコとつながっていると思って頑張れ
た私の気持ちでした。フラメンコとの関わり方はひとつではないことに気づき、毎日CD
を聴きながらリズムを刻んできました。おかげで明るく身体の回復ができました。次はカ
ンテを習ってみようと思っています。春になったら、カンテ教室を探します。

(山梨県・ジュリア・30歳)

ジュリア

※パセオフラメンコ2月号掲載作品
雰囲気の補給方法
 私の不幸はジャマーダができないことだ。私が構えると皆が首を傾げる。「どこが悪
いのかうまく言えないけど、とにかく動きがおかしい」と言われる。言われなくても鏡
を見ていれば、自分が不格好なのは一目瞭然。できないのはジャマーダだけではなく、
ブエルタだってサパテアードだってフラフラしてしまってできない。ギターさんにも
「今のジャマーダだったの?」と言われて、音を止められてしまった。こんな武勇伝か
ら、クラスではジャマーダのできないあっちゃんで通っている。私だって、顔で笑って
心で泣いているんだ。手をいっぱいに伸ばせば、強制ギブスしてるみたい。少し力を抜
けば、だらしがない、動きが小さい。しまいには、アイレがない、雰囲気が足りないと
言われて……涙が出ないわけがない。雰囲気の補給方法なんて習ったことないのだから。
それでもレッスンに行くのが楽しい。もうすぐ発表会だと思うと足はすくむけど、皆が
助けてくれると約束してくれた。ギターさんはどんな小さな動きも見逃さないからと言っ
てくれた。足りないアイレは、カンテさんがハスキーな声でフォローしてくれると言っ
てくれた。迫力の足りない足音は、皆がパルマで盛り上げてくれると言ってくれた。大
嫌いだったブレリアも好きになってきた。一人で踊れない私が、皆に支えられて踊る。
失敗するたびに「本番じゃなくてよかったね」と笑ってくれる友人は私の宝物だし、皆
のフォローの中で踊っているうちに、アイレが出てきたように錯覚できるから不思議だ。

(大阪府/あっちゃん/22歳)

あっちゃん

※パセオフラメンコ1月号掲載作品
みんみsama 編集作品 「題名未定」
「このド田舎に一つしかない教室が消滅してから一年近くが過ぎようとしています。
が・どっこい生きてた(?)エセ・フラメンカ達
今まで使っていた教室の大家さんがその教室をそのままレンタルスタジオにしたので 皆でお金出し合って借りてます。
週一回の曜日貸し、公民館なんかと比べたらずいぶん割高なんですが「木の床」と「鏡張りの壁」はやっぱり魅力ですもんね?

先生のいないサークル活動、さて何踊る?
それぞれが得意な踊りを教えあって アレグリアス先生にタンゴ・デ・マラガ先生にカラコレス先生…結構なんとかなるもんです(*^^)v

毎年声を掛けてくださるお祭りも、トラックの荷台ステージもちゃんと呼んで下さいました。
振り付けが出来ないのでレパートリーが増えないのは残念ですが、そこはもうあきらめるしかありません。
まっとうなフラメンカさん方から見たら、バカ野郎どもかもしれませんが、時々お客さまの前で踊って、踊っている私達も見ている人達も笑顔になれたらそれでOKってことで!

でも、こんな田舎にも上を目指す向上心いっぱいの人もいる訳で、月に一回遠くに習いに行き始めた人もいます。
そしたらいきなり「あなたたちの踊りはフラメンコじゃない、フラメンコって言って踊らないで」ですと┐( -"-)┌
今まで教えてもらった事、全否定で縁切りされました。

それでもメゲない私達エセ・フラメンカ「先生で踊りの解釈が違っても、否定することないんじゃない?」って事で意見がまとまりまして
相変わらず余興集団に徹しているバカ野郎どもです。」

P・S
南国特有(?)で楽天的な私達
余興ついでに1月22日にライブの出来るバーのステージを借りてフラメンコ付きの新年会をする事になりました
一般のお客さんもいらっしゃいますから、うまく行けば定期的にタブラオにしちゃおうと張り切ってます
でもその前にちゃんと踊れるようになるかな??







みんみさま。

ありがとうございます。
間違えて鍵コメにしたとのことでしたので
こちらで公開させていただきました。

文字数756でした^^
150字ほど削りましょうね。


ド田舎に一つしかなかった教室が消滅してから一年近くが過ぎました。が、どっこい生きてたエセ・フラメンカ。今まで使っていた教室がレンタルスタジオになったので、皆でお金を出し合って借りてみました。公民館と比べたらずいぶん割高ですが「木の床」と「鏡張りの壁」はやっぱり魅力。先生のいないサークル活動のスタートです。それぞれが得意な踊りを先生になって教えています。アレグリアスにタンゴ・デ・マラガ、ラコレス。結構なんとかなるもんです。毎年声を掛けてくださるお祭り、トラックの荷台ステージ。レパートリーが増えないのは残念ですが、そこはもうあきらめるしかありません。まっとうなフラメンカさん方から見たらバカ野郎かもしれませんが、踊っている私達も見ている人達も笑顔になれたらそれでOKってことで。
 ある日、ド田舎を卒業し、遠くの教室へ習いに行き始めた人に「あなたたちの踊りはフラメンコじゃない、フラメンコって言って踊らないで」と言われました。今まで教えてもらった事、全否定でした。それでもメゲない私達エセ・フラメンカ。「踊りの解釈が違っても否定することはない」と意見がまとまり、相変わらず余興集団に徹しているバカ野郎です。
南国特有の楽天的な私達。余興ついでにバーのステージを借りてフラメンコ新年会をする事になりました。一般のお客さんもいらっしゃいますから、うまく行けば定期的にタブラオ開催できるかもしれません。でもその前にちゃんと踊れるようになるのかな?


多少意味が重なっている部分を
さくっと削っただけで616文字になりましたよ^^

こちら、語尾も整ってませんし、
つぎはぎのままなので意味も通じなくなっています。


あえてヨラ、ここでバトンタッチしますね。



みんみさん。
また思い出したことなどありましたらここに足してみてください。
それからいらない部分を削ってみてください。
文字数は気にせずに。
また700文字とかになってもいいですからね^^

全否定されても強い結束でまとまったバカ野郎のエセ・フラメンカ・・・

こんなすごい集まりたちならもっとすごいオチがありそう?
・・・なんて期待もしています。
皆でゲットした収穫物(気持ちとか)があったら教えてくださいね。


いっぱい自慢してください。
よろしくです^^


amon sama 編集作品 「今週、妻が浮気します」
最近よく鼻歌を歌う。機嫌がいい。心なしか体が引き締まり、肌のツヤもよくなっている。異変を感じたのは、息子が学校へあがり、妻がフラメンコを習いだした頃のことだった。週に一回だったレッスンは、2回、3回と増えてゆき、夜中に帰宅したり、酒を飲んで帰って来ることも増えてきた。その様子に疑ったのは浮気だ。フラメンコへ行くと、妻はニコニコと過ごし、子供たちにも優しい。くだらない無駄遣いも減ったようだ。後ろめたい気持ちの裏返しか?
これは相手をつきとめてやる。更に、心を落ち着けて様子を覗ううちにとんでもない発言が飛び出した。「赤ちゃんができた」と。聞けば、浮気などしていないという。フラメンコは、俺のために踊っていると。しかし俺のためにはくびれなかったウエストが、フラメンコの衣装を着るためにはくびれるのか。子供を産んだ後も、あっという間に体型を戻し、ヘンなDVDで痩せ体操を踊り、短いフラメンコを習ってきては、台所でみっちり踊る。家事も育児も手早くこなし、意気揚々と出て行く妻の後姿を見ていると、「浮気相手はフラメンコだったのか」という結論だ。しかし、生き方、考え方、体型から何からまるごと覆すほどのフラメンコ。完全に心奪われている。今週妻はライブで踊る。「絶対に見に来てね」と言っていたが、爪を手入れしたり、髪を染めたり、衣装を何度も着て鏡の前で踊る姿を横目に・・・俺はかのドラマのように「今週、妻が浮気します」そんな心境だ。





amonさま。
フラメンカに迷惑コウムルご家族の貴重なご意見。
ありがとうございます。

文字数もピッタリ考えて下さったようで感謝です^^


そうそう。。。
フラメンコに夢中になる女性は(男性もでしょうが)
こんな風に、衣食住の必要最低限以外をフラメンコで埋めてしまったりするんですよね?。
そして、そうでしたか。
ご家族に多少の迷惑はかけているであろうとは思っていましたが、浮気の心配まで・・・(笑)

でも。。。
浮気の疑惑が晴れたところでお聞きします^^

こんな情熱に触れて感心したことはありませんでしたか。
amonさん自身、触発されて何か奮起したことなどありませんでしたでしょうか。

俺のために踊るフラメンコと聞いて愛が深まったとか
ご自分も同じくらい何かに全力投球してみようと思ったとか。

妻のフラメンコ熱に呆れながらも
amonさんに起きたプラス作用があれば最後に一行だけでも加えていただけたらと思います。


どうぞよろしくおねがいします♪

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