*All archives* |  *Admin*

2017/11
<<10  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  12>>
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
PASTORA sama 編集作品 「これでいいいんだ、と。」
カンテ歴は一丁前にあるのに、「声」だけがカンテじゃない。録音聴いても自分の唄ってるDVD見ても、「日本人女性が真似してるだけ」に聴こえてしょうがない。あんまりにも自分の声にコンプレックスが大きすぎて、唄うことすら怖くて、たまらなかった。傷心旅行のつもりでスペインに旅立った。
何日かすると異国での暮らしにも慣れ、友達も少しずつ増えてきた。ある週末の夜、行きつけのバルで友達と飲んでいると、ギターを持った人達が現われ、ちょっとしたフィエスタ状態になってしまった。しばらく時間が経ち、友達のひとりが「PASTORAも唄ってみろよ!」と言う。
・・・自分にできるのか?このフラメンコの産まれた土地で唄っていいのか?フラメンコの声を持たない日本人の自分が、そんな大それたことをしていいのか?逡巡している自分を、友達が舞台へと引き上げる。ギタリストは既にカポをあげて待っている。・・・ブレリアを一節、二節。
唄い終わったあと私の耳に聞こえてきたのは、地鳴りのような「ゥオレー!」と拍手だった。スペイン語もろくに話せず、フラメンコの声も持っていない自分が、初めて「心を交し合った」瞬間だった。後になって、ギタリストと話をすると、「お前はフラメンコの心を持っている。それがいいんだ。声なんか関係ない。これからも続けるべきだ」と抱きしめて励ましてくれた。声は変わらないが、あの時の拍手と「ゥオレー!」の嵐に励まされて、唄い続けている現在の私である。





PASTORAさん。
カッコイイお話ですね。
コンプレックスを思い切ってさらけだしたら
人々に認められちゃったんですね。
拍手喝采つきで。

意外と自分では気にしてることが
人から見たらチャームポイントだったり。
少々欠けてるからこそ味があったりしたりするって
わかっていたりもするけれど。。。

頭ではわかっていたって
なかなか自分で嫌だと思ってる部分を
人前に出すって勇気のいることだと思います。

頑張りましたね。PASTORAさん。
オレー♪ですね^^



ところでところで?

これは完成作品の投稿でいいのかな。
605文字なんですよ。
ベストな数字。

もしこれでOKでしたら
ペンネーム、年齢、住んでるところ←の3つ
パセオに載ってもいい用に考えてコメント欄にいれてください。

まだ足したり引いたりする部分がありましたら
そちらご意見をコメント欄に入れてください。


よろしくおねがいします^^

スポンサーサイト
shekere sama 編集作品 「大切で大変なもの」
2008年のお正月 。年始めのタブラオが私の教室で行われる日。私はカホン奏者として その日参加させて頂く事になっており 夕方 地下鉄に乗っていた。 その時に入った友人からのメールは にわかには信じ難い内容だった。 『教室のギタリストさんが、今朝急に亡くなられたそうです』
心筋梗塞。享年35歳。その前年 新人公演で奨励賞を授賞。初めての子どもが1歳になったばかり。『今年はレコーディングしてCDでも作ろうかな』と言っていた笑顔。私達の成長を支えて下さるだけでなく 福岡の 九州のフラメンコの未来を支えるはずのひと。毎回レッスンの度 その力強い 心の入った音で私達を包んで下さっていたのだ。
それから1ヶ月後、一緒に頑張ってた友人が29歳の若さでガンで亡くなった。2007年9 月の発表会でガロティンを見事に踊りきり 『あぁこれでもう思い残す事はないな』とポツリと呟いた彼女に 何も知らなかった私は『なに言ってんの!』と笑いながらいったのだった。発病から わずか7ヶ月だったそうだ。
フラメンコは『生』の芸術。生きている事を最も強烈に感じる芸術かもしれない。最後にギタリストさんが私に伴奏してくれたのはソレア。だから私はソレアを踊る度にその人を想う。多分これから先ずーっとそう。彼らの為に 自分の為に フラメンコに関わる全ての人々の為に 自分に関わる全ての人々の為に そして フラメンコの為に、一生向き合う。一生かかって向き合う。こんな大切で 大変な事に出会えたのは決して偶然じゃないと心から感謝して。
全ての物事において半端に終わらせず きちんと最後までやり通す 納得行くまでやる。それが私に出来る事 私がやらなきゃいけない事なんだと、そう感じながら 今日も生きてる。





shekereさま。このたびは投稿ありがとうございます。
こんな悲しいできごとを文章にしていただきまして、感謝です。
書く時っていろいろ思い出すから辛かったでしょうに。

35歳に29歳ですか。ずいぶんと早すぎましたね。
見送る方は辛かったですね。

でも人生って。決して長く生きてればいいってものじゃないから。
中身ですからっ!!!
見事なガロティンを踊りきり、「思い残すことはない」と言って旅立てたなんて
ゼッタイゼッタイよき人生だったはず。

そして彼女が残してくれたものを無駄にしないって
強く生きてくれてるshekereさんがいるんですもの。




はぁーーー。
こんないい文章を95文字も削らなくちゃいけないなんて。
どこ削ったらいいんだいって感じだけど。。。

695文字だったので。
ヨラなりに615にしてみました。
620を超えることはできないのでこれが限界なのです。

なるべく語尾を変えるだけとかにしたのですが
これではかなり意味合いがかわってしまう!というところや
思い出して足したくなった文章などありましたら
またご意見くださいね。


2008年のお正月に入った友人からのメールは、にわかには信じ難い内容だった。『教室のギタリストさんが、今朝急に亡くなられたそうです』
心筋梗塞。享年35歳。その前年 新人公演で奨励賞を授賞。初めての子どもが1歳になったばかり。『今年はレコーディングしてCDでも作ろうかな』と言っていた笑顔。私達の成長を支えて下さるだけでなく 福岡の、九州のフラメンコの未来を支えるはずのひと。レッスンの度、その力強い心の入った音で私達を包んで下さっていた。
それから1ヶ月後、一緒に頑張ってた友人が29歳の若さでガンで亡くなった。2007年9月にガロティンを見事に踊りきり 『あぁこれでもう思い残す事はない』とポツリと呟いた彼女に 何も知らなかった私は『なに言ってんの!』と笑いながらいったのだった。発病から わずか7ヶ月だった。
フラメンコは『生』。生きている事を最も強烈に感じる芸術かもしれない。最後にギタリストさんが私に伴奏してくれたのはソレア。だから私はソレアを踊る度にその人を想う。多分これから先ずーっと。彼らの為に 自分の為に フラメンコに関わる全ての人々の為に 自分に関わる全ての人々の為に、フラメンコの為に、一生向き合う。一生かかって向き合う。こんな大切で 大変な事に出会えたのは決して偶然じゃないと心から感謝して。
全ての物事において半端に終わらせず、きちんと最後までやり通す。納得行くまでやる。それが私に出来る事 私がやらなきゃいけない事なんだと感じながら 今日も生きてる。
TOSYsama 編集作品 「愛しのファルーカ」
 フラメンコ教室に通い始めて、クラスの仲間とも親しみ始めた頃、いつも帰りが一緒になる女性が「はい、これ。男性の踊りの参考になると思うよ。」と一本のビデオテープを貸してくれました。
 それが初めて観たアントニオ・ガデスのファルーカだった。
その品格、美しさ、力強さに目が釘付けで、心を奪われるとはこのことだなと思ったものです。このビデオがフラメンコにのめりこむキッカケであると同時に、私たちを結びつけるキッカケにもなったわけです。
 後日、彼女とアントニオ・ガデスのことで大いに盛り上がり、その頃から、ご飯を食べに行ったり、映画を観に行ったりと二人は親密さの度合いを増していったわけですが、当時はお互い奥手で付き合っていたとはいえない関係でした。二人の関係が恋人といえるようになったキッカケは、私が3ヶ月のスペイン旅行を決め手からのこと。
今でも、当時のことは覚えてますが、空港に見送りに来てくれた彼女が泣き出してしまい、周囲の人に白い目で見られた記憶があります。よほど悪い男に見えたんでしょうね。
 ともあれ、マドリードを訪れ、当時の師匠の紹介状を持ってアモール・デ・ディオスを訪れました。ここではセビジャーナスを覚えたばかりの私には苦しい経験がたっぷりでしたが、彼女からの電話や手紙に元気付けられ挫折せずに過ごせました。
 帰国してからの私たちは、周囲が認める恋人同士でした。
初めは、個人レッスンで受けていたファルーカでしたが、当時の師匠の思いつきでパレハ(ペア)で踊る構成となり、二人でレッスンを受け、時間を作っては自主練習をしたものです。彼女のほうが先輩であったため、ともするとリードされる羽目に陥ってましたが。
 そして発表会当日、彼女にメイクされ...今思えば、やりすぎのメイクだろうけれど...舞台に臨みました。二人で練習した成果を披露する喜びと緊張感のなか、踊りぬいたときの達成感と観客の拍手は最高の気分でした。発表会終了後も、同じ練習生の仲間からも口々に「良かった」「素敵だった」と声をかけて頂いたのを今も覚えています。
 その後、お互いの両親に紹介するほどに進展した関係も、些細な行き違いから別れてしまいました。実際のところ、仕事に支障がでるほどの落ち込みで、よく解雇されなかったなと思えるほどのやる気のなさ、いい加減さでした。フラメンコもそのために辞めてしまったのです。
 数年間、フラメンコから遠ざかったまま、仕事上の人事異動で大阪から愛知に引っ越してきました。営業の途中、繁華街で見かけたフラメンコの看板、「また、やってみようかな。」という気持ちがよぎると矢も盾もたまらず、体験レッスンを申し込みました。今では昔以上にのめりこみ、気がつけば、勢いに任せてフラメンコ教室を主宰するようになっていました。そして、今もライブやイベントではファルーカを踊ります。もちろん、ソロで踊るばかりですが、ふとした時に彼女が側で準備してるような錯覚におそわれ、この曲を踊る時には懐かしさと悲しさがいつも胸にこみ上げるのです。








TOSYさま。。。
素晴らしい作品の投稿ありがとうございます。
美しい。。。
切なくて泣ける。。。

あの。。。
もったいなくて削れないっすけど。。。?


しゃちょ。
パセオで連載したら?
って感じですな。


只今の文字数1248文字でございます。
半分切るのかぁ?。

つらーーーい!

このまま3枚挿絵を入れて絵本にしたいくらいだけど。
では頑張って編集して参りましょう。


TOSYさん。
ひとつお願いがあります。

彼女との熱い恋と、それを終えられた悲しみを乗り越えて
今のご自身の人生にプラスになったことを教えてください。
彼女に教えてもらったこと。
彼女と出会えてよかったと思えること。
セビしか踊れない状態で本場へ行き、苦しんだことで学べたこと。
あの頃の自分と今の自分を比べて成長できたと思えること。


それを足して・・・(2000文字とかになるのか???)
それから泣く泣くこの美しい文章を削りたいと思います。


ハァ。。。
ヨラ、せつない。


ユミサンsama編集作品「アラフォーならぬアラカンで」
私は今62歳!3人の子供を育て孫も5人います。子供が小さいときはパートで下の子が中学になって、ある百貨店でフルタイムで働きお陰様で子供達もそれぞれ独立し結婚していろいろありましたが、また夫婦二人の静かな生活になりました。その百貨店も不況のため閉店となり私は59歳でやむなく退職しました。公務員の主人も退職し、少しの畑で野菜を作り近くに住む姑を見ながら老後を・・・・と思っていましたが、私は何かもやもやと生活に張りがなく、これから何を楽しみ、張合いに生きたらいいのか考えとりあえず心残りだった普通自動車の免許を取りに学校へ行き60歳で免許取得し今まで何処に行くのも主人に乗せてもらっていたのに、やっと自立した開放感を味わい,これに味を占めて何か出来ることは?と探しふとカルチャーセンターのフラメンコ募集の記事を目し、あっ!これだ!運動不足も解消できるし、音楽好きだしすぐ見学に行き、何とかいけるかも・・・なんて飛び込んだら、サア大変!山は高いし、壁は厚くトホホな生徒でした。でもそこは長く生きたおばさんです。根性は負けません。みなさんの足を引っ張りつつ、飲み会にも、呼んでもらって、年齢聞かれ、びっくりされて、教室の人の温かい親切に恵まれ、セビジャーナスは何とか踊れて、次に発表会があるときは、出たら?と言われて、うれしくし、今ブレリアのステップ、アバニコを持ってのグアヒーラに悪戦苦闘をしています。練習用にとファルダはピンクや2段フリルの水玉を買いヤッパ私は形から入ろうなんて負け惜しみを言いつつ毎週楽しく練習して、1年が過ぎました。夢はスペインに行き本場のセビジャーナスの踊りの輪に入って踊りた?いです。


ユミサンさん。←さんを二つつけるのはおかしいのか?
アグネスチャンちゃん・・・か?

あ。いきなりそれましたけど。ユミサンさん。
勢いある文章ありがとうございます。
掛け足で転がるように読みました

明るくて楽しいお話ですね?^^
文字数もかなりいいカンジ♪
702文字でした。


ただ「駆け抜ける型」をもう少しゆっくり読めるように
改行と句読点いれながら削りましょうか^^



私は62歳!3人の子供を育て孫も5人います。子供が小さいときはパートで、下の子が中学になるとでフルタイムで働きました。子供達はそれぞれ独立し、務めていた百貨店が不況のため閉店になったので59歳で退職しました。主人も退職したので、少しの畑で野菜を作り近くに住む姑を見ながら老後を・・・・と思っていました。でも何かもやもやと生活に張りがなく、これから何を楽しみ、張合いに生きたらいいのか考え、とりあえず心残りだった普通自動車の免許を60歳で取得しました。今まで何処に行くのも主人に乗せてもらっていたのに、自立した開放感を味わいました。これに味を占めて何か出来ることは?と探し、カルチャーセンターのフラメンコ募集目にしました。運動不足も解消できるし、音楽好きだし、すぐ見学に行き飛び込んだらサア大変!山は高く壁は厚くトホホな生徒でした。でもそこは長く生きたおばさんです。根性は負けません。みなさんの足を引っ張りつつ、飲み会にも、呼んでもらって、年齢聞かれびっくりされて、教室の人の温かい親切に恵まれ、セビジャーナスは何とか踊れるようになりました。次に発表会があるときは、出たら?と言われて、うれしくし、今はブレリアのステップ、アバニコのグアヒーラに悪戦苦闘しています。練習用にとファルダはピンクや2段フリルの水玉を買い毎週楽しく練習しているうちに、1年が過ぎました。スペインに行き本場のセビジャーナスの踊りの輪に入って踊るのが夢です。



ヨラ案↑↑↑こちらです。反対意見もくださいね。
やりとりしながらゆっくり仕上げましょう。
これで611文字です
ひたーなsama 編集作品 「フラメンコの神様ってイジワル」
フラメンコの神様ってイジワル

 長男の嫁となるのを契機に、長年続けたフラメンコを辞めた。嫁に習い事などあり得ないし、跡継ぎの出産は嫁の責務(いつの時代だ?)炊事・洗濯と並ぶように不妊治療に通い、結果に一喜一憂する毎日が続く。気がつけば、お先真っ暗な人生。頑張れと言われても、一体どう頑張ればいいの?もう少しと言われても、一体いつまで続けりゃいいの?唯一の楽しみだったフラメンコも奪われ、まるでダメ人間の烙印でも押されたかのように、女の本能を全うできない自分を責める日々に押し潰される。瞼が腫れるほど泣きじゃくったある暑い夏の日、たまたま手に入れた野外フラメンコのチケット。そこで久しぶりに観たアレグリアスに人目もはばからず涙を流した。ただただ生きていることの嬉しさに心が震えた。不妊治療はお休みすることにした。手に入らないもの、自分ではどうしようもできないことを、無理無理欲して人を羨み、自分をも嫌って生きるより、夢中になれる大好きなフラメンコを極めてみよう!そう固く決意し、目標設定して歩み出した矢先、あろうことか、この度授かった。こ、このタイミングなの?正直言って心境複雑なこの感想。でも、困難になればなるほど、絶対いつかやり遂げてやる!という意地がわく。いま私は、こう思うんだ。辛かったけど、この経験をして本当によかったと。人の痛みのわかる今の私がいるのは、もがいて苦しんだ過去と、そして、それを見守り励ましてくれた、たくさんの人達のおかげです。豊かな感性は豊かな人生と、そして豊かなフラメンコの表現力につながると信じて、これからも頑張りますっ!

(栃木県・ひたーな)

ヨラさん、こんにちはっ!!
文字数ちょっとオーバーだけど、頑張ってみたよーん。

よろしくお願いします?☆





ひたーなさん♪ありがとうございますー
うれぴー♪♪♪

うーん。不妊治療。。。。辛いらしいですね。コレ。
ダメ人間の烙印押された感。めっさわかりますわ。
へこんでる時って自分が世界一ダメなやつだって本気で思うもんね。
んでまた、不妊治療ってやめたときに授かるのよねーーーー><;

さてさて。文字数かぞえたら663字でした。
このままいきたい感じですけど40文字くらい削らないとダメかな。
もったいないけどねぇ・・・・・

で、上の赤い文字が合計40文字です。
これを削っては?というのがヨラ案。
「いや!この言い回しをかえたらおしまいなのぉーーー!」ってとこがあったら
そこは足して、別のところを引いてみてください。

ではよろぴくです。
もうひと押し頑張ってみて?。



最新コメント
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
リンク
プロフィール

ヨランダ

Author:ヨランダ
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
最新トラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。