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辛いのはあなただけじゃない。みんないっしょ。みんな毎日頑張ってる。
読んだらきっと元気マンタンで帰れるよ。よらもいつもここでパワーをもらっています。


ミニミニキメ子
   気に入った文章や絵があったらコメントもしてね~


七転び八起き手ぬぐい



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踊りの向うに
 10年以上前の友人の結婚式でフラメンコに出会いました。踊りの向こう
に、めらめらと燃え上がる炎や、咲き乱れる花や、舞い落ちる枯葉が見え
ました。すっかり虜になった私は、いつかやってみたいと思っていました
が、自身の結婚、出産、そして長男に発達障害が見つかり、母子通園での
療育を受けるようになったため、忙しい日々の中、夢も忘れていきました。
そんなある日、超初心者クラスを見つけました。一緒に療育を受けていた
友人の「今すぐ申し込まないと怒るわよ!」の叱責に押されて自分でも
びっくりするぐらい積極的な行動に出ました。その日のうちに教室に申し
込み、ネットでファルダを注文。そして勇気を出して、フラメンコを始め
ることを、義父や義母、主人、私の実家に相談。てっきり怒られると思っ
ていたのに、みんな逆に喜んでくれました。子供のために、私が趣味を持
つことを我慢しているのだと思っていたそうです。自分の気持ちに素直に
なることで、周りの人も楽にすることが出来ました。
 フラメンコを始めてもうすぐ三年。レッスンの日は、義母が子供達の食
事を用意してくれます。長男も笑顔で送り出してくれます。みんなが応援
したり協力してくれるおかげで楽しく踊ることが出来るのだと、いつも感
謝の気持ちを込めて踊っています。踊ることで伝わる気持ちはきっとある
から。初めてフラメンコに出会った時の感動、踊りの向こうに見えた景色
を、今度は私が伝えられるように頑張りたいです。

(愛知県半田市・あーちゃん/36歳)

あーちゃん15
※パセオフラメンコ 24年12月号掲載作品
華麗なるぱんつの舞
 あるデイケア施設でライブを開いたときのお話です。皆さん、とても明
るい笑顔で迎えてくださり、リズムに合わせて手を叩いたり、足を踏み鳴
らしたりしてくれました。でもその中に、憮然と車椅子に座っていらっ
しゃるおじいさまがお一人。皆でパルマの練習をしても、「オレー」の練
習をしても全く無反応。踊りの披露が始まっても、明るいセビジャーナス
にもピクリともしません。そんな緊張感の中、私のソロの番がきました。
実力がない分、心だけは最大限に込め、ポルブレを披露。そして、くるく
ると2回転をすると、先ほどの全く動かなかったおじいさまが叫んだので
す。
「あ、ぱんつが見えた。ラッキー!」おおお! お元気でいらっしゃる!
 会場はおじいさまの一声で、どっと笑いの渦が広がりました。そのあと
のブレリアでも、笑いはおさまらず、ますますの盛り上がりに。なぜか、
「オレー」と練習したはずなのに、「レオー、レオー!」と掛け声がどん
どん聞こえてきます。間違ってるけど……。まあいいか。今の気持ちを歓
声にして伝えたいというところは間違ってはいない。私は、皆さん、あり
がとうという気持ちでいっぱいになりました。みんなの笑顔。みんながひ
とつになって楽しむ。そうか、これがフラメンコなんだね。本当は、私の
華麗な踊りでおじいさまの心を動かしたかったけど、これでいいのだ! 
おじいちゃん、おじいちゃんが元気になるなら、これからもいくらでもぱ
んつくらい見せてあげるから。

(広島県・primrose/あらふぉ。)

primrose15

※パセオフラメンコ 24年11月号掲載作品
苦しみを超えて
 技術も魅せ方も何もわからない私が、フラメンコが好きで、ただそれだ
けで、自主ライブを開こうと思い立った。その日が迷いと苦労の日々の始
まりだった。まずは色んなお教室からバイレが集まってくれたのはよかっ
たのだが、実力の違いを見せつけられて落ち込んだ。私は皆のお荷物では
ないか?という葛藤。更には、企画を立ち上げたものの、何をしていいの
かわからず、踊りに集中できない焦りも手伝って、メンバーにイライラを
当ててしまう始末。私は、器の狭さ、人をまとめる力の無さに、申し訳な
い思いで日々いっぱいになっていき、自分を責めるしかなくなっていた。
 そんな私を救ってくれたのは友達だった。フライヤーにプログラムにメ
ンバーまとめにと、全てをサポートし、踊りも毎週見てくれた。愚痴も聞
いてくれて、励ましてくれた。ソロ経験のない私が、ギターさんカンテさ
んに踊りを伝えることが出来ず困っていると、なんと先生まで駆けつけて
下さった。当日の舞台は、メンバーさんがそれぞれ素敵に踊り、笑顔で盛
り上げてくれた。私が一曲グァヒーラを踊るまでに何人の人に支えられた
のだろう。お膳立てがある発表会とは違い何かを自分たちで始めて成し遂
げることは、かなり大変なんだと思い知った。そして苦しかった分、沢山
のお勉強をさせてもらう良い機会になった。私のグァヒーラは、ライブ後
「歌ぶりは良かった」と1か所だけ褒めて頂けた。今後はリベンジをかけ
て更に練習を重ねていきたい。

(彩の国・ルナ/38歳)

ルナ15

※パセオフラメンコ 24年10月号掲載作品
私の適齢期
 今から2年前の27歳の時。私は、付き合って10年以上が経つのに、待っても待っても
プロポーズしてくれない彼に痺れを切らしていました。自分の夢ばかり追っている彼。
休日も、彼は自分のことばかりで私のことは二の次。周りの友達は続々と結婚し、2人
目の子供ができたなんて聞くと、自分だけが取り残されている気持ちが増し、結婚を
焦って彼に依存していきました。そして、何か自分にも夢中になれるものが欲しいと考
え、フラメンコを始めたのです。
 始めてみると、思うように出来ないのがとても悔しく、知れば知るほど奥深いので、
日々はまってゆきました。大人になると何かを必死で頑張るという機会に恵まれなくな
りますが、鼻息をフンフンいわせながら必死でサパテアード踏んでる仲間に、夢中にな
ることの格好良さを教わったのです。気づけば私もすっかり夢中でした。その頃からだ
と思います。彼の夢を心から応援できるようになったのは。
 頭では分かっても動かない足。軸がブレブレのブエルタ。きれいに鳴らないパリー
ジョ。重心のかけ方。目線。課題が山積みの私には、結婚適齢期で悩む時間すらなく
なってしまいました。まだまだ長くなりそうなフラメンコ人生。課題に追われながら、
彼の夢を一緒に叶えたいと思います。そして私の夢、ウエディングドレスを着る!
……も彼に叶えてもらおうと思います。夢はゆっくり叶えたい。そう思わせてくれた
フラメンコに出会えて、本当に良かったです。

(東京都・ぽたたぶらんか/29歳)


ぽたたぶらんか15

※パセオフラメンコ 24年9月号掲載作品
夏の思い出を胸にはさんで
 フラメンコを習い始めて10年が過ぎました。何度も踊ってきたセビジャーナス。
とても華やかで大好き……なはずなのに、なぜか必ず「やってしまう」セビジャー
ナス。今までの数ある「やってしまった」ことの中で、1番恥ずかしかったこと。
それは地元の夏祭りでのことでした。
 2列になって前後入れかわる構成で、私は2番と4番を前列で踊り、最後は全員
で輪になってしめるというものでした。アバニコを使うのは2番と3番で、1、4
番は胸にしまっておきます。悲劇は4番を踊り始めた頃から始まりました。アバニ
コが下へさがっていくのを感じたのです。このままではツーピースのお腹からアバ
ニコを産んでしまう! 踊りなれたセビジャーナス。身体は自然に踊り続け、笑顔
もしっかり保っています。が、私は笑顔のまま、一番の見せ場がきたところで、胸
元に手をつっこみ、出す予定のないアバニコをむんずと取り出してしまったのです。
そして、これも私のブラソですとばかりに、一人閉じたままのアバニコを振り回し
て踊ったのでした。
 ああ~、沢山の観客の前で胸元に手をつっこみ1人だけアバニコを持って踊るのと、
ブラウスの裾からアバニコを産み落とすのと、どちらが目立たなかったのかと今でも
思い悩んであまりある、夏の夜の思い出です。いつになったら「やってしまう」こと
なくセビジャーナスを踊りきれるのでしょう。次の出番は未定ですが、とりあえずし
ばらくはアバニコを胸にはさむのはやめておこうと思っています。

(日本海のそば・TAMA/40代)

TAMA15

※パセオフラメンコ 24年8月号掲載作品
今とは違う私で
 13年前に習い始めたフラメンコ。彼氏と別れた時も、仕事が忙しくて苦しかった
時も、フラメンコを踊っていれば幸せだった。主人と出会い、結婚したときも、年
齢的に子供は早めに作るべきだったけれど、フラメンコを優先した。舞踊団にも抜
擢され、夢のような経験をするうちにますます妊娠は先送りになり、気付けばアラ
フォーになっていた。遅ればせながら不妊治療を開始。治療は肉体的にも精神的に
も辛いけど、ここでもフラメンコに救われている。病院と相談しながら、初めての
ソロにも挑戦。この舞台が終わったら、しばらくお休みだから悔いのないように踊
りたい。
 フラメンコは踊り続けていなければ自分からどんどん遠ざかってしまうと思って
いたし、お休みしたら自分だけ取り残されてしまうと、いつも不安だった。「フラ
メンコは逃げない」その通りだと思う。頭ではわかっているけれど、それでも不安
だった。でも今は「フラメンコを逃がさない。」と思っている。私はきっと子供が
産まれたら抱っこしてフラメンコを踊るし、身体が動く限り踊り続ける。体が動か
なくなっても、ハレオをかけ続ける。そんな揺るがない思いを13年たってやっと確
信できた。そうしたら、人生の幅を広げてからフラメンコを再開するのも悪くない
のでは? と思えるようになった。私はきっとフラメンコを逃がさない。今はベビ
待ちフラメンカだけど、いつかママフラメンカになって、今とは違う私で舞台に立
ちたい。レッスンもベビ待ちも頑張るぞ!

(東京都・あんじゅ/40歳)

あんじゅ15

※パセオフラメンコ 24年7月号掲載作品
母がくれた言葉たち
 幼稚園から習っていたフラメンコを、高校生になってお休みしました。
勉強と部活が忙しくなったからです。だけど、私はその部活でいじめに
あいました。そして私は病気になり、部活にも学校にも行けなくなりま
した。
 お母さんはそんな私を見て、いろんな言葉を言いました。いじめる側
じゃなくて、いじめられる側でよかった。いじめられる人の痛みを知る
ことができたから。少しの間がまんすれば相手はすぐに飽きるから大丈
夫。次はいじめてる人がいじめられるから見ててごらん。部活なんてや
めてフラメンコに戻れば?フラメンコがあってよかったじゃない。私は、
お母さんが私の苦しさを軽く考えていると思い、いじめられて良かった
なんて言うお母さんを最低だと言ってしまいました。
 だけど、時間がたってみたらその言葉たちは全部本当でした。いじめ
はすぐにおさまり、ターゲットはローテーションしていきました。私を
いじめていた人がいじめられていくのを見ました。私はお母さんと約束
したことを思い出しました。次におこるいじめに参加しないこと。いじ
められる側の苦しさを知っていたから、絶対にいじめる側にはまわらな
い。いじめられてよかった。この言葉の意味を初めて理解しました。
 そして私は部活をやめました。小さい頃からやっていたフラメンコを
続けたいからという理由で。フラメンコがあってよかったという言葉も
よくわかりました。ほんとにあってよかったです。病気も治りました。
今は楽しく踊っています。

(風の谷・ホワイトクッキー/高1)

ホワイトクッキー

※パセオフラメンコ 24年6月号掲載作品
月に映える白い花
 もう一昨年の冬のお話です。今思えば、軽い鬱だったのかもしれません。
かろうじて仕事には行っていましたが、毎日続く頭痛と倦怠感で家事は一
切できず、仕事以外は荒れた部屋で眠るだけの日々が続いていました。
大好きだったフラメンコもお休みしました。
 寒い冬が過ぎ、春も終わりに近づいた頃、私はひとり夜桜を見にでかけ
ました。もうほとんどの花は散り、葉桜模様でしたが、月の明るい晩だっ
たので、夜空に映える緑の葉と、少しの白い花がとても美しかったのを今
も鮮明に覚えています。その日に何があったわけでもありません。なぜそ
の日に、全ての苦しみから抜け出せたのかもわかりません。その美しい景
色をひとりしばらく見ていただけでしたが、なぜか悩んでいたことがとつ
ぜんくだらないことに思えてきたのです。そしてスッキリした私の頭に浮
かんだのは、やはり「フラメンコを踊りたいな」だったのでした。フラメ
ンコが私の中にあったことに感謝しました。仲間たちは何も聞かずにガリ
ガリに痩せた私の復帰を喜んでくれました。半年以上のブランクですすん
でしまった振り付けを時間外にスタジオをとって教えてくれました。
 あれから桜が2度咲きましたが、夜空に映える葉桜を見ると、今も懐か
しいような苦しいような感覚に陥ります。あのとき、仲間たちが教えてく
れたカラコレスはすっかり忘れてしまって踊れませんが、皆の優しさと温
かさは、あの日の美しい桜と共に今も私の心の中にずっと咲き続けています。

(神奈川県・あずき/44歳)

あずき

※パセオフラメンコ 24年5月号掲載作品
あなたの笑顔のために
 月に一度、慰問に行く老人ホームに、比較的若い「おじさま」が入居し
ていました。なんでも難しい持病を持っているため、奥様に先立たれたあ
と、息子さんたちに引き取られるのが難しく、医療完備の施設に入居した
そうです。しかし、家族に捨てられたと思い込み、心を閉ざしてしまった
おじさまは、踊りを見ても一度も笑ういことはなく、触れ合いタイムでは
いつも私の手を振り払いました。私は傷つき、そして傷つく自分に落ち込
みました。理由があるから仕方ないと説明されているにも関わらず、感情
が先立つ自分が悲しかったのです。
 そんなおじさまが、ある日、私の手を握り「明日一緒に釣りをしよう」
と言いました。ホームの庭でめだかを釣るイベントでした。私が特別に参
加させてもらうと、おじさまはその日、終始笑顔で、最後に「フラメンコ
が月に一度の楽しみなんだよ」と小さな声で言ってくれました。「今まで
傷つけて悪かった。許してもらえるとは思っていない」と。その瞬間誰が
慰めてくれても晴れることのなかった私の心が嘘のように晴れました。私
の方こそ、おじさまのこと解っていたのにあまり好きじゃないなんて思っ
てしまったことを、とても後悔しました。
 おじさまの前で踊るのが憂鬱だったフラメンコを、今ではおじさまのた
めに踊っています。おじさまの喜ぶ顔を見るためだけに、練習しているよ
うな気がしますが、それが自分の喜びでもあるのです。次回は明るく楽し
いアレグリアスが見たいそうです。

(横須賀市・ラディ/27歳)

ラディ

※パセオフラメンコ 24年4月号掲載作品
フラメンコは恥ずかしい
 突然起こった3・11の大震災。私達の住む町は大きな被害は免れたが、
テレビなどから入ってくる悲惨な映像や情報に胸を痛め、フラメンコを
生きがいとしていた妹が、踊れなくなってしまった。
妹は、勤め先の老人ホームで、月に一度フラメンコを披露していた。
が、私は観たことがない。恥ずかしくて観られないのだ。毎度お誘い
は頂くが、「恥ずかしい」と言って断り続けてきた。ところがお誘い
が来なければこれはまた心配になるもので・・・・・・。毎月末はフラメン
コのはずだった。聞けば、踊りたくないと言う。そんな気分になれな
いのだと。利用者のご老人達もふさいでいるし、開催を反対する者も
多いらしい。私はしばし考えた。妹はたしか、人を元気にしたい、笑
顔にしたいから踊ると言っていたはずだ。「こんな時こそが、お前の
出番なんじゃないか?」。私が言うと妹は一晩考えた末、翌日大きな
キャリーケースをひきずって部屋から出てきた。「自主練してくる」。
自粛モードで開かれたいつもより質素なパーティは、結果お年寄りに
大変喜ばれたそうだ。眠れぬ夜を重ね、笑顔も減っていた利用者さん
も、疲れていた従業員も、涙を流して喜んでくれたらしい。「やっぱ
りフラメンコは人を幸せにするんだよ。お兄ちゃんも観にきたら?」。
再び始まったお誘いを、私は丁重に断った。あんなスカートふりふり
する踊りを観るのはやはり恥ずかしいし、もし間違って涙など出てし
まったら大変じゃないか。

(関東在住・Shign/36歳)

sign


※パセオフラメンコ 24年1~3月号掲載作品
選んだ道を
 去年からフラメンコを始めました、まだまだ初心者練習生です。セビ
ジャーナスを習い終え、アレグリアスがはじまりました。しかしこのクラ
ス。最初は夢中で気付かなかったのですが、練習しているよりおしゃべり
している方が多いようなクラスだったんです。フラメンコ10年選手も、繰
り返しセビジャーナスを習っていらっしゃる。毎度おしゃべりが始まるた
びに、正直ちょっと不満に思うようになりました。おしゃべりするより
ちゃんと練習したい。別のクラスへいこうかな? ところが、私のスケ
ジュールで通えるクラスは、初級中級を飛び越え、上級しかありません
でした。初心者クラスから上級クラスへ編入なんて出来るわけもなく、
悩む日々が続きました。その間にもイライラは募り、とうとう先生に相
談。すると先生はあっさりとクラスを移ることを許可してくださいまし
た。急に始まったカーニャのソロコンパスを私は夢中で聴きまくりまし
た。大枚はたいてマントンも購入し、毎日近所の公園でまわしました。
何度もこの道は間違っていたと思ったし、元のゆっくりなクラスに戻ろ
うかとも思いました。でも、来月の発表会で、半分くらいは上級生たち
と同じ舞台に立たせてもらえることになったのです。先生や先輩方が、
一番足をひっぱる私をいつも支えてくださった結果です。上手になった
とほめても頂きました。抱えきれないほどのプレッシャーを感じながら
も、あの時決心してよかったなと思う私です。

(横浜市・ゆうゆう/22歳)

ゆうゆう

※パセオフラメンコ 24年1~3月号掲載作品
ソレアしか踊れない
 子供がまだ小さいうちにフラメンコを始めたため、レッスンの出席率はか
なり悪く、3年連続でセビジャーナスクラスを受け続けました。一緒に入っ
た仲間たちはどんどん成長していきました。何度かからかわれたこともあり
ます。「エリーちゃんは一生セビジャーナス? 」冗談だと理解しつつも、
そう笑われるのは苦しいものでした。
そうこうしているうちに、子供に大きな病気がみつかり、入院することにな
りました。闘病生活にあてた3年間。長すぎるブランクを経て、再び門をた
たくと、なんとセビジャーナスクラスはなくなっていました。田舎の小さな
フラメンコ教室です。生徒が増えなかったため、セビジャーナスを踊れない
生徒がいなくなっていたのです。通っていたクラスは、ソレアクラスになっ
ていました。仲間たちはまた冗談交じりに笑います。「セビジャーナスの次
がソレアなんて 」と。しかし、セビジャーナスしか躍れない私は、いえ、
既にセビジャーナスも忘れていた私は、ソレアを習うことを決心しました。
そしてあれから1年。先日のなん発表会ではほんの数秒ですが、ソロパート
を躍らせてもらうまでになりました。諦めないでよかった。頑張ってよかっ
た! しかし、本当にセビジャーナスを忘れてしまった私。ただ今ソレア一
曲しか踊れません。ソレアしか踊れないと言うと、謙遜していると思われて
しまいます。本当に初心者なのに! 発表会のDVDを見てひとり復習しなく
ては! と思う日々です。

(山梨県・エリー/28歳)

エリー


※パセオフラメンコ 24年1~3月号掲載作品
幸せの数え方
 私の幸せ度は、いつも他人との比較において得られていた。タブラオ
に立つ回数や、住む家の広さ。何でも人より大きければ幸せ、小さけれ
ば不幸せだった。そんな私が不育症だとわかってからは、何年も苦しい
思いをした。数が多いほど羨ましいのだから、子供を3人連れている人
などは正視できないほどだった。不育症は、不妊症より辛い。授かった
子供が流れてしまうくらいなら、授からないほうがどれだけよかっただ
ろう。でも私はこの苦しみを誰にも打ち明けられなかった。
 はじめて悩みを打ち明けたのはフラメンコを一緒に習う仲間だった。
彼女は私に幸せの数え方を教えてくれた。不幸せの数を数えるのではな
く、幸せの数を数えればいいのだと。そしてそこに比較は一切必要ない
のだと。子供が授かれなくても、主人が「それでいい」と言ってくれて
いること、この暑さの中、フラメン踊れる健康体であること、仕事は順
調で生活の心配がないこと。他にもたくさん私の幸せな部分を拾ってく
れた。すぐには同調できなかった私だが、そのうち私も自分の幸せを自
分で数えるようになれた。そういえば私は、フラメンコを踊れることに
感謝したこともなどなかったし、主人に感謝したこともなかったかもし
れない。でも私は楽しいから踊ってきたのだ。踊るために美味しいもの
を食べてきた。好きな人と一緒に食べてきた。私は今、見落としてきた
幸せを数えながら拾っている。彼女に出会えたこともそのうちのひとつ
だと思う。

(横浜市・美羽/36歳)

美羽 15

※パセオフラメンコ12月号掲載作品
フラメンコ基礎療法
 ヘルニアを悪化させてしまい、しばらくフラメンコを休むことになった
のは、一年前。一年間安静に過ごしても全く痛みは治まらなかったから、
復帰はないだろうと思ってた。医者が言うには、腰痛を緩和するには筋力
をつけるしかないらしい。腹筋と背筋で体を引き上げるのだそうだ。「ん?
 体を引き上げる?」どこかで嫌というほど聞いた覚えがある。そうだ、
レッスンで何度も言われたんだった。下半身は下へ、胸は上へ引き上げる。
でも肩は下。私が通っていたフラメンコ教室は、ストレッチ等の身体づくり
に力を入れていた。当時はそれが嫌いで、少しでも早く踊りたかったものだ。
あの頃真面目にやってなかったからバチが当たったのかな。遅ればせながら、
今になって、あれほど良いものはなかったと痛感している。もう、寝そべっ
た状態から体を起こす腹筋背筋は腰痛を抱えた私にはできないから。だけど、
あの頃習った基礎練習は、立ったまま筋力を鍛えることができたり、上体を
引き上げる訓練に長けているので、私は腰痛体操がわりに当時を思い出し、
毎日朝晩二回ずつ実践することにした。フラメンコをやめて一年たってから、
こんなに真面目に身体づくりをするとは思いもしなかったけど、日々痛みは
減っている。あの痛みを抱えた状態で、よく筋力をつけられたと医者も驚い
ているぐらいだ。もしかしたらこのまま上手くいけば、フラメンコ復帰もあ
るかもしれない。復帰できたら、今度は基礎練習から真面目にやろう。

(神奈川県・girasol/33歳)

ヒラソール 15

※パセオフラメンコ11月号掲載作品
強い味方
 「もっとブラソ上げて! 足の粒揃えて! 音の幅広げて! 顔の切れ
はよく!」 。あぁ、課題てんこ盛りの私のレッスン。フラメンコはゴール
がなく、奥が深いから面白い。と冷静な時には思えるけど、やっぱりできな
いことが多いと凹んでしまう。でも頑張って練習する。「負けるなKimi!!」
と自分に言い聞かせてやっている。 そんな私の強い味方は、ヨランダさん
の「苦しいってことは、登ってるってことなんじゃないの?」の言葉。この
愛ある言葉にどれだけ励まされ救われたことか!  この言葉はスタジオの
仲間にも広めた。みんなが凹んでる時に「苦しいのは????」と投げかければ
「登ってるってこと!!!!」と大きな声で返ってくる。笑顔で確かめ合う私た
ちの合言葉。この言葉をブログでも紹介したら、同じくフラメンコを習って
いるブログ友達も共感してくれて、「ありがとう! そうだよね!」とコメ
ントが寄せられた。 今、私はバタ・デ・コーラでカラコレスの練習をして
いる。まだまだバタに振り回されている。へたをするとバタの裾を踏んで
転びそうになる。重いバタを頭の辺りまで持ち上げてのスピーダなどは、
腕は筋肉痛だし足はフラフラだし「もう限界!」って言いたくなるけど、
合い言葉を繰り返し唱えることで苦しさを楽しめるようになってきた。
ゴールのないフラメンコにすっかりはまってしまってしまった私。もしも
この先足が動かなくなってもパルマだけでも舞台に出たい。強い味方と共
にいつまでも登り続けるのだ。
(大阪府・浪速のフラメンカkimi/年齢ひみつ)

kimi 15

※パセオフラメンコ10月号掲載作品
蕎麦屋より愛をこめて
 街の小さな蕎麦屋に嫁いできたヨメの趣味は、フラメンコ。人前で踊りを
披露しするほどの腕前を持っていたらしく、、教室に通う以外にも一人で
練習する時間を設けているとつきあい当事は聞いていた。結婚して店を手
伝うと練習量が減るであろうというのが長年プロポーズを断り続けられる
理由だったのだが、そのあたりを渋々覚悟してもらっての、嫁入りだった。
私としては、結婚してもヨメが趣味を続けることは構わなかったのだが、
彼女はスッパリとやめてしまった。中途半端に続けても意味がないとのこ
とだった。毎日だった練習日を週2回くらいに減らせばよいのでは? 
ともすすめたが、プロ? の感覚はそういうものではなかったらしい。
ヨメに女将としての貫禄がついてしばらくして、親父が胃がんを患った。
元気をなくした親父を励まそうとヨメが考えてくれたのがフラメンコパー
ティだ。2階の宴会場に親父の将棋仲間を呼び、フラメンコを披露した。
老人たちは蕎麦を食べながら手拍子を打って喜び、涙した。これが私がは
じめて見たフラメンコだった。ヨメが言うには、その道の人には見せられ
ない踊りだったらしく、蕎麦屋の和室で踊るのも邪道とのこと。でも私に
は十分感動させられるものだった。いいじゃないか。踊りのことは何もわ
からないが、親父が活力を取り戻して手術に向かったのは事実だ。そして、
近所の老人達からアンコールを受けて「フラメンコin蕎麦屋」をもう4回
やっていることも事実だ。

(横須賀市・徳の輔/47歳)

徳の輔15

※パセオフラメンコ9月号掲載作品
道は開ける
 フラメンコ教室などほとんどなく、やっと見つけた教室も、数年でなく
なってしまうような地域に住んでいました。10年で2度ほど教室を変え、
3つ目の教室も生徒が減り、継続できなくなりました。生徒が減ってしま
うと経験者が入ってくることはなく、初心者を募るのです。タンゴを習っ
てはセビジャーナスに戻り、アレグリを習ってはセビジャーナスに戻りな
がらも頑張っていましたが、ソレアのあとにセビジャーナスに戻るかは先
生もかなり悩んだようで、教室は閉じられました。
 4つ目の教室探しは都内でした。少し覗いたけでレベルの違いは一目瞭
然。10年習っていたのに初級クラスにもついて行けない有様。時間的にも
金銭的にも通うのは難しく、また、都会人は冷たく感じて、入会をためら
いました。これを機にフラメンコは止めようと考えました。でも、どうせ
なら挫折してから止めようと、思い切ったのが1年前です。
1年経った今の私はとても不思議な環境にいます。都会人は冷たくなどな
く、とても親切でした。3時間掛けて通う私を気遣って、靴やコルドベス
を預かって下さいました。心配していたレベルの差は、皆さんが自主練で
フォローしてくれました。そして突然決まった主人の転勤先は、教室のす
ぐそばだったのです。1年前、近場にはもうフラメンコ教室がないとわかっ
た時、都会のクラスに怖じけた時は全てを失った気分でしたが、探してみ
ればこうしてまた別の幸せが開けるのですね。頑張ってみてよかったです。

(東京都・ことり/36歳)

ことり20

※パセオフラメンコ8月号掲載作品
あごを引いたら見えたもの
 実はフラメンコはもう3年程お休みしています。義母の介護や、夫のリ
ストラで、習い事に出掛けるのが心苦しくなったからというのが表向きの
理由でしたが、それらはそんなに重要ではありませんでした。一番の原因
は、踊るのが楽しくなくなったからでしょうか。
 習い始めたころは、楽しいだけだったフラメンコ。下手くそでも楽しかっ
た。前回習ったところをすっかり忘れていても、動きがカエルのようだと
笑われても、レッスンの日が待ち遠しかったのです。それが、上達するに
つれて苦しくなっていきました。フリを覚えるだけでは許されなくなり、
上手く踊らなくてはいけなくなったからです。タブラオに立つことになれ
ば、数日前からプレッシャーで具合も悪くなりました。私はその苦しさを
克服するのではなく、家庭の事情を言い訳にして逃げたのです。
 しかし、やめてからもいつも心にはフラメンコがありました。サンキュー
のかわりにグラシアスなんて言っちゃったり。大切なのは理屈よりもアイ
レだと感じたり。軸がぶれてはいけないことも、コンパスがしっかりして
いるから遊びも許されるということも。フラメンコで習ったことはそのま
ま生きることにつながっていました。胸張って、あごを引いて、呼吸を整
えたら楽しそうに踊ってる私が見えました。急にフラメンコが恋しくなり
ました。一度は逃げた私だけど、もう一度頑張ってみよう。来週私は半分
忘れかけたセビジャーナスのクラスに参加します。

(神奈川県・まひな/35歳)

まひな20

※パセオフラメンコ7月号掲載作品
ハンバーガーとフラメンコ
 フラメンコを始めて10年。食べる、寝る、仕事する以外の時間は全て練
習といっても過言でないくらい夢中で踊ってきました。お陰ですっかり婚
期を逃した私とは対照的に、この10年の間に妹は子供を4人生み、そして
先日、母子家庭になりました。そんな妹の誕生日の話です。
 必死で働きながら子供を育てる妹に、たまには美味しいものでもと考え
た私でしたが、妹を食事に誘うとなると、私と妹の他に4人の子供がもれ
なくついてきます。6人分の食事をご馳走するのは経済的にちょっと大変。
それに幼い子供をレストランに座らせるのも難しい。なので私は、妹達を
私のライブに誘うことにしました。路上ライブなので途中で子供が泣き出
しても大丈夫。妹がフラメンコを見るのは初めてのことでした。子育てで
大変な時期と重なったこともあり、妹は私の発表会を見に来たこともなかっ
たのです。
 ライブを見てもらった帰りはハンバーガーショップでお祝いしました。
いくらなんでも慎ましすぎたかな……と落ち込みそうになったその時、妹
がつぶやいたのです。「あぁー。なんて幸せな誕生日なんだろう」と。そ
して「フラメンコ面白かったなぁ?、元気出たな?」とも。思わずジワワ……
と涙が。よかった、喜んでくれて。お金も何も掛けられなかったけど、ハ
ンバーガーとフラメンコでこんな風に思ってもらえるなんて私の方が幸せ
になれました。フラメンコをしていてよかったと、10年の間で一番強く思
えた日でした

(東京都・ルーガ/40歳)

ルーガ20

※パセオフラメンコ6月号掲載作品
今日も私は
 教室の仲間たちに、めでたいくらい前向きだとお褒めの言葉を頂く私で
ございます。フリを覚えるのがいつもクラスでビリでも。パリージョが何
年やっても鳴らなくても。「だって下手だから習ってるんだもの」。なに
げに言ったこの言葉が、何年経っても名言として仲間たちの間で流行して
います。そう、上手だったら習う必要なんてないのだから。上手じゃない
から、上手になるために頑張るのだから。あれからもずっと、上手くなっ
た手応えは感じることはありませんが、クラス自体の練習内容は確実に難
しくなっています。……ということは? 同じ「出来ない」でも私自身の
レベルも上がっているのでは? こんなおめでたい考えで自分を励まして
は練習に励んでいます。
 毎朝毎夕、通勤電車ではフラメンコの音源をi-Potで聴き、必死で振り付
けを思い出す。頭の中でサパテアードを打っているうちに、小さな貧乏ゆ
すりをしている自分に気付く。雨が降ればワイパーに合わせてコントラを
打つ。こんな毎日を過ごしていて、わずかながらの前進もないわけがない
のです。そう、きっとちゃんと成長しているはず。ブエルタのふらつきが
直らないまま、ケブラーダの練習に入ってしまったけれど、いつかきっと
綺麗に回れる。自分を信じて頑張っていきましょう。ダメだと思ったらそ
こで終わってしまうから。上手になれる日は必ず来る。出来ないままでは
終わらない。「できた!」と笑う日のために、今日も私はレッスンに通う
のです。

(神奈川県・chiii/アラフィフ世代)

chiii20

※パセオフラメンコ5月号掲載作品
バラに秘めた野望
 友人の舞台を観に行った。フラメンコは見るのも初めてだったので、多
少予備知識を入れてもらってから。手拍子はしてはいけないらしい。しか
も手拍子って言わないらしい。バラはくわえない。ドレスは赤だけじゃな
く、黄色やピンクもある。そうなのか。バラを投げて「オ・レィ!」って
叫ぶのを見たかったのに。素人は皆同じことを言うんだよってことまで教
わった。「それ、人前で言わない方がいいよ」とも。
当日、舞台を観たとき、私は泣いてしまった。理由は自分でもわからない。
踊りながらバラを投げてくれると思っていたぐらいの私がフラメンコから
何を感じたのか……。長く入院中の母の容体が悪化したから? 4度目の
流産を経験したから? 先月の3万円分の残業が3百円しかついてなかっ
たから? そんなのどうでもいいじゃないかって言われているような。人
生誰もがいろいろだよって諭されているかのような。目の前で揺れる赤や
水色のフリルからハートがガツンガツン飛んできて胸を刺された。私は気
が済むまで客席で泣いた。帰り道で、私もフラメンコ始めようかな。など
とよせばいいのに思いつきでこぼし、友人をドン引きさせる。そうだよね。
十年以上運動らしい運動もしてないもんね。まずは埃をかぶったヨガのD
VDを引っ張り出すわ。年季の入ったDVDで体を動かし、あれから身も
心も健康になってきたような気がする。そしてつい最近、秘かな野望を胸
に、バラの髪飾りを買ったことは友人にはまだ内緒。

(神奈川県・みやび/37歳)

みやび 20

※パセオフラメンコ4月号掲載作品
我が家の平和を守るため
 世界でも数人しか掛からないという難病が息子に発覚した。幸い命の心
配はなく、日常生活に多少の手を掛けてあげれば済むくらいのことで、そ
んなに落ち込まずに済んだ。今も頑張って闘病中。それから主人がリスト
ラにあった。とうとうウチにも不況の波が……? こちらも幸い再就職先
は決まったものの、収入は激減し、私がパートに出ることになった。仕方
ない。レッスン代くらいは自分で稼がなければ。これまた頑張って就業中。
そうこうしてるうちに私自身が交通事故に遭い、腕を骨折。車は廃車。よ
くもまぁこれだけ私のフラメンコライフを邪魔する出来事が起こるものだ。
でもいいのだ。足じゃなかっただけ。サパテアードの練習は休まないで済
むものね。
しかしとどめを刺されてしまった。姑に言われた一言。「こんなに大変な
時によくフラメンコなんかやってられるわね」。あぁ、何があってもこれ
だけは手放したくなかったのに。息子のことも、我が家の経済難も、これ
があったからきっと笑顔で乗り切ってこれたのよ。腕の骨折だって、「サ
パテアードが……」なんて発想がなかったら落ち込んでただけなんだから。
 で、考えた結果、内緒でフラメンコを続けることにした。リビングに置
きっぱなしだったファルダやアバニコが詰められたバッグは寝室の奥へ。
週に2回、押入れの奥を探るのは面倒だけど、リビングが片付いたからい
いか(笑)。週に2回の嘘は、我が家の平和のため。お義母さん、ごめん
なさい!

(横須賀市・valor/33歳)

valor20

※パセオフラメンコ4月号掲載作品
実るほど……
 万年初心者クラスから抜けられなかった私が、発表会が苦手だった理由は、単に
下手だったからではなく、気疲れしてしまうからでした。ギターさん、カンテさん
にお茶を出す、楽屋の掃除、関係者さんの案内、などなど。無論その仕事が嫌だと
いうのではありません。お世話になった人や、施設に感謝を込めるのは当然のこと
ですから喜んで! ですが、なんせ頭がまわらないのです。頭の中は、最後の最後
まであわなかったフォーメーションのことばかり。「あそこの足は右からだったか
な」と考えては、お茶をいれつつ足踏みをしていました。
 そんなある日、私は主人の転勤で引越しをしました。新しい地でも、フラメンコ
教室を探し、やはり迎えた発表会というイベント。いつものように裏方仕事をする
つもりでいた私は唖然としました。「裏方は、上級クラスがやる」。余裕がある者
が雑用をした方が良いからという理由らしいのですが、私には衝撃でした。手伝い
を申し入れた私に、先輩方は「もっと上手になったら手伝ってね」と冗談めかして
笑いました。いくら踊りに余裕がある上級者でも、更なるプレッシャーがあったは
ずなのに。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」。そんな言葉が浮かぶと同時に、上手
になりたい! 初めて強く思ったのはこの時です。そんな理由で? と自分でも笑
うけど。優しくお茶をいれながら、舞台では力強く踊る美しい姿を見て、私もあん
なバイレになりたいと、いえ、あんな人間になりたいと思ったのでした。

(神奈川県・ロサ/37歳)

ロサ20

※パセオフラメンコ3月号掲載作品
目覚めるアラフォー
 森ガールやらナチュラルメイクやらという言葉が流行する前から、私は顔に塗る
ものと言えば、化粧水と日焼け止めぐらいだった。すっぴんでも十分美しかったか
ら。とまではいかないまでも、素朴が一番! をモットーに、世間様へのマナーと
して眉毛だけをササッと描き、どこへでも出掛けて行ったものだ。
 ところがフラメンコ歴2年が過ぎた39歳の夏、初めての発表会に出場したことで、
私の人生は大きく変わってしまう。この発表会で私はメイクに目覚めてしまったの
だ。付けまつげに、マスカラ、アイシャドウ。頬にもシャドウとハイライト。薬用
リップじゃない、色のついた口紅。初めておもちゃを与えられた子供のように私は
夢中になった。そうか、私って女の子だったのね。それからはもう、出勤前はマス
カラを念入りに。アイラインも忘れずに。眉毛が一発で上手く描けた日なんかは、
一日ご機嫌で過ごせるし、気持ちが上がる。仕事の効率も上がる。そしたらアレア
レ? もしかして恋愛運まで上がって来ちゃった? なんだか急にモテるじゃない?
 「人間は見た目じゃない、中身なのよ」って先日亡くなったおばあちゃんが昔よく
言ってたけど、あれって嘘だったのかなぁ。おばあちゃんの教えを守って、花より
だんご、男よりだんごで生きてきたのに……。おばあちゃん。私、これからは見た目
も磨くよ。フラメンコで習ったお色気ビーム視線を振りまいて、胸上げて、あご引い
て、素敵な王子様をゲットするからね。

(神奈川県・ベロニカ/40歳)

ベロニカ20

※パセオフラメンコ2月号掲載作品
貧乳は世界を救う
 2000年問題で人類滅亡の危機だと大揺れに揺れていた頃、私の家では、私の
乳の問題で大きく揺れていた。私の右乳に「がん」が見つかったのだ。そして
私の右乳(貧乳)と引き換えに、地球は無事2000年を迎えられたのだ。
ビバ! 貧乳! ただ、それからが大変。右手が全く挙がらない。こりゃなん
とかせにゃいかん! と決意し、「手を挙げて踊る=フラメンコ」ということ
で安易に入門した。ダンナが「もともと無い乳でよかったやん。取る前と同じ
でやで」と、笑い飛ばしてくれたおかげで元気も出た。わが貧乳に悔いなし! 
右手が挙がるまでフラメンコ頑張るぞ! と堅く決心したんだった。
 でもやっぱり苦しかった。いつまでたっても上がらない右腕はコンプレックス
だった。でも「大丈夫、大丈夫、できるできる」と私の気持ちをプラスに持って
行ってくれる先生のおかげで今の私がある。感謝してもしきれないくらい私に
とっては神のような人。ある時先生に「ごめんね、手があがらなくて。皆と同じ
にできなくて」と言うと、先生はびっくりして「なんでなんで? それ個性やん! 
大切にせなぁ」と言ってくれた。「皆と同じように踊らなあかん」という思いか
ら解放された瞬間だった。嬉しくて涙がとめどなく溢れた。そうだ。フラメンコ
はリハビリで始めたんだった。楽しまなくてどうする? 忘れていた決意を思い
出した。ビバ! 貧乳! 右手が挙がるようになるその日まで! 私の貧乳リハ
ビリメンコ生活はこれからも楽しく続いてゆく。

(神戸市・ちぃちゃん/年齢ひみつ)

ちぃちゃん 20

※パセオフラメンコ1月号掲載作品
いつか懺悔を恩返しに
仕事一筋だった私の唯一の息抜きが月に数回のフラメンコだった。当時は、音楽
にのって少し汗をかければ満足で、十分ストレスは解消されていた。シフト制で休
日が不規則な仕事をしている私としては、チケット制のフラメンコ教室がとても便
利だった。このまま何年もセビジャーナスを習っているだけでいいと思ってた。が、
たまたま見つけたスペインバルでその人に出会ってしまった。華やかな衣装、眩し
い照明、それらに負けないくらいの輝きを放つ女性。この人にフラメンコを習いた
い! 上手になりたい! 今まで持ったことのない感情に襲われた。毎週同じ時間
にレッスンを受けるという、私には無理なスケジュールに悩んだが、入門すること
にした。
なるべく仕事の休日をレッスン日に合うように設定してきたが、どうしても無理な
時は有給を使用。幸い、仕事ばかりしてきた私には余りあるほどの有給がたまって
いたが、問題は休暇をもらうための理由。母には何度も病気になってもらった。怪
我もしてもらった。インフルエンザにまでしてしまったことをここで懺悔したい。
まさかフラメンコ踊ってくるから仕事を休ませて下さいとも言えなくて、「ごめん
なさい、お母さん」と母に手を合わせながら、レッスンへ通っている。そしてもう
一人、母の容態を心配して下さる課長にも手を合わせずにはいられない。二人には
申し訳ないと思いつつ、フラメンコの上達がきっと恩返しになるだろうと信じて、
今日も熱心にレッスンを受けている。 

(東京都・AIRI/30歳)

AIRI 20


※パセオフラメンコ12月号掲載作品
小悪魔と呼ばれる日まで
 ア幼少の頃より一度もモテたことのなかった私。唯一男性から告白らしいことを
受けたのは、中2の時の「クラスの中で3番目に好き」これだけ。「ひどい! せ
めて2番にして!」と初恋の男の子に攻め寄った甘酸っぱい思い出。ある日私は、
このままではいけないと思った。小悪魔と呼ばれる女になりたい。一度でいい、男
を手のひらで転がしてみたい。そんな夢を抱えて叩いたのが、今のフラメンコ教室
の門だった。フラメンコはセクシーになるらしい。小悪魔になるにはピッタリじゃ
ないか。入門から3年間。一度も休まずレッスンに通った。信号待ちではお尻の穴
を引き締め、歩くときは体重移動に気を使い、伸びをする時は肩甲骨を寄せてマノ
を巻いた。その甲斐あって、私の身体はてきめんに変化した。体脂肪率は半分に減
り、しなやかな筋肉が全身についた。が、その筋肉は、長年溜め込んだ脂肪が落ち
ないよう、ガードするようについてしまったようだ。おかげ様で、ついたあだ名は
「おっかさん」。二十歳にしておっかさん? セクシーになるために始めたフラメ
ンコ。どこで間違えたのか? 男性を手のひらで転がすつもりが、先日、ほのかな
想いを寄せていた男性に「走るより転がった方が早いでしょ」と笑顔で言われた。
確かに私はフラメンコに適した立派なお尻だ。そうか、手のひらで転がすのがダメ
なら、次は尻に敷いてやろうじゃないの。まだまだ小悪魔への道のりは遠い。ただ
今3度目の正直目指して新しい恋に挑戦中。 

(神奈川県・マーシャ/21歳)

マーシャ 20


※パセオフラメンコ11月号掲載作品
男前カホン道
 陽だまりのリビングで紅茶を飲みながら、午後にはケーキを焼いたり編み物
をしたり、そんなほんわかとした笑顔が優しい、シャボン玉があたりに舞って
いるようなママの姿。そしてフラメンコを優雅に楽しむ主婦。これは「こんな
女性になりたい」と私が思い描いた夢でした。ところがです。あれやこれやで
シャボン玉ママへの道も、バイレ道もなかなか思うように進まず、やきもきし
ながらほんの出来心で手を出してしまった打楽器。目の前に開けてしまったの
は堂々たるカホン道でした。無謀にも踊り伴奏の道に足を踏み入れ、師匠はも
ちろん、フラメンコの諸先輩バイレ、ギター、カンテの方たちに温かく厳しく
見守られ、日々必死でコンパスを手に頭に身体に叩き込み、恥をさらしながら
数々のヌメロをすごい勢いで駆け抜けました。
 あれから4年、今なお錯綜を続けるも、心で奏でたいなどとクォリティアッ
プを目指す今日この頃。そういえば、昔から私がいただく誉め言葉は「男前」
でした。「シャボン玉ママ」になれるなんて、私以外の誰もが思っていなかっ
たのです。そんなことから得た教訓は「人は他人にはなれない」。でも、男前
も悪くない。ギターやカンテの方とのコミュニケーションは、もし女性的な女
性であったなら、踊りだけやっていたなら、こんなに早くには生まれなかった
と思うから。予定どおりに進んでいたら出会うはずのなかった人たちとの出会
い、関わり。私にとってかけがえのない財産です。

(東京都・田村アーニャ/44歳)

アーニャ20

※パセオフラメンコ3月号掲載作品
昼下がりの秘め事
 真夏の昼下がり。ワンコインで踊りにギター伴奏をつけてくれるという某所へ出
かけて行った。お願いしてあった今月のライブの部分の合わせをするが、自分への
課題もどんどん増えてしまう。まだ100%踊れないのもあって、ソロで踊るとア
チコチ痛いほど解る汚い足の音。自分で、汚い、揃っていないと解るのに、足が言
う事を聞いてくれない。
 そこで一旦休憩。CDを聴いたり、You Tubeを観たりしながら、あーだこーだと、
ちょいと癒されていたら、ついギターさんに愚痴ってしまった。「バイレのみなさ
んが当たり前のようにやっている一連の足を一生懸命にやらずに、なんとな?くス
ルーして来てしまったせいで、綺麗に出せない音が一杯だわ」。ところがギターさ
んったら優しく応えて下さるじゃないの。「そーいう事ってありますよねぇ。ボク
だって避けて通って来ちゃったし(笑)。でもこれから頑張ればいいですよね、年
齢じゃないですよね」。
 そうだよね!  きっと今がワタシ達のやるべき時だよね! エイエイオー! 今
回のライブで、私たちは共に苦手な部分に挑戦する。ちーっとばかし、いや、かな
り、「やるべき時」がずれているのかもしれないけど。フラメンコに恋してスタジオ
&カフェまで作ってしまった40半ばのギタリストさんの一言で、フラメンコに片思い
中の40代も終わりに近いワタシは、元気をもらい、一生懸命に頑張ろうと誓ったの
だった。二人で手を取り合って誓った、ちょっとキケンな昼下がりの出来事。

(千葉県・カルミーナ/49歳)

カルミーナ20

※パセオフラメンコ2月号掲載作品
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